「さすらい人の子守唄」北山修を購入 | ものぐさな春乱のブログ

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北山修の「さすらい人の子守唄」を若いころ読んで、共感したという話を、ある方から聞き

 

買ってしまった

 

 

中古の本で、1円だった

 

発行は昭和47年となっている

 

これは文庫であり、もともとの単行本は昭和46年

 

つまり1971年の発行である

 

1971年と言えば、

 

「あの素晴しい愛をもう一度」が出た年だ

 

奇跡の1曲ともいうべき名曲を、書いたか書いてないかのころ

 

と、いうことになる

 

 

 

 

やっぱ惚れるよ

 

いきなりこれだもの

 

「人生に目的なんかない」

 

人生の目的とは何だろう?と、思い悩んで苦しんだ人しか

 

こんなこと言わないだろう

 

そして、この本を書いたとき、おそらく彼は23歳なのだ

 

まだ医学生である

 

 

そしてこの次のページには、こう書かれている

 

「イデオロギーも嫌いだ」

 

 

 

 

 

あのね

 

会社に23~25歳の男が、数名いるんだ

 

もっと天真爛漫だよ

 

 

 

頭がいいから、こんな文章を書いた?

 

頭がいいから、悩んだ?

 

 

ちがうだろう

 

 

悩まずにはいられなかったから、悩んだんだろう

 

 

僕はこの人生の先輩の若いころの

 

この本を、ちらっと読んで

 

かわいそうになってしまった

 

 

 

普通の男なら

 

こんなこと考えないで生きて行けるんだ

 

 

 

だって、北山修は明らかに優等生じゃないか

 

しかも金持ちのボンボンじゃないか

 

 

どう考えても、普通こんな境遇に生まれたら、

 

苦しい労働にうごめく庶民など、蛆虫ぐらいにしか思わず

 

女なんぞ、ヤリ捨てにして遊びまわってるだろう

 

 

ところが彼はこういうのだ

 

「山のむこうに

幸せなんか無いことを知り

カール・ブッセは泣いたそうだが

私なら

笑いながら歩いていく」

 

 

 

 

「楽」な人生を約束された環境にありながら

 

「楽」を選ばなかった

 

優等生のいい子でいられたはずなのに

 

反抗の歌を書いた

 

 

時代背景もあるだろうな

 

やっぱり全共闘の世代だから、優等生のおぼっちゃんも戦わざるをえなかったのかもしれない

 

 

でも、、、

 

かっこいい!!

 

 

 

 

五木寛之に、「北山修は文章が下手だ」なんて酷評されているけど、いいじゃないか

 

文学者じゃないんだから

 

 

 

歌だって、うまくないんだよね

 

ときどきハモってる加藤和彦に申し訳ない気持ちになるよ(笑)

 

 

 

だけど、なぜかこの人の文章は、、、

この人の歌は、、、

 

僕の胸を熱くする

 

 

 

本当に久しぶりだな

 

感動するなんて

 

 

 

たぶんだけど

 

僕は、北山修の影響を受けた人たちの話に、影響を受けて育ってきたんだ

 

とうとうオリジナルに辿り着いた

 

そんな気分

 

 

 

知らないうちに身についていた感性

自分が幼い頃に憧れた「男」というもの

たぶんその源流が、この人なんだろうな





深夜放送のディスク・ジョッキーとして

大人気だったなんて、僕は知らなかった




カッコ悪く、女々しく、でも夢は捨てない

頭が良くても、偉ぶらない

ほほえみを絶やさない

苦しみ悩む人への優しさを忘れない




ひゃー!やっぱりカッコいい

とても僕には無理そうだな

でも、少しでも近づきたいと思うよ

え?50過ぎて、いまさら無理だろうって?

「何かを始めるのに、遅すぎることはない」って誰かが言ってたぜ

だったら、大丈夫だろ!




では、また