そばにいて クリスマス編 15

 

 

 

 6.クリスマスの夜に 3

 

 

 

 

  ほんの一瞬の出来事だったけれど、優花にとって初めての

 キスははっきりと心に刻みつけられた。

  身体中がぞくぞくして驚きのあまり呼吸すらも忘れてしまうほど

 衝撃的だったけど、彼と交わしたキスは間違いなく現実に起こった

 ことなのだ。

 「ゆうの、その目。あんまり大きく開けると落ちてしまうぞ」

  くちびるを合わせたあとの第一声がこれだった。

  びっくりしすぎてまばたきも出来ずにぱっちりと目を見開いて

 いた優花を、彼は余裕の微笑みで包み込む。

  この人はいったいどんな神経をしているのだろう。キスなんて

 映画や漫画の中だけの出来事だと思っていた。自分にはまだまだ

 関係のない、遠い世界のことだとも思っていた。自分の身に振り

 かかった途端、あたふたしてしまうのも当然のなりゆきだ。

  なのに真澄ちゃんときたら、そんなこと別に特別なことじゃない

 普通のことだよと言わんばかりの冷静さで、冗談まで言ってしま

 えるのだ。

  キスのあとの何とも形容しがたい気まずさをものともしない彼は

 優花よりもずっと先に大人になってしまったのだろうか。

  決して暖かいわけではないのに、頬がほてってくる。いまだに

 そこにとどまっている彼のくちびるの感触を思い出すたび、嬉しさと

 それ以上の恥ずかしさでここから逃げ出したくなる。誰もいない

 ところに行って、大声で叫びたい心境だ。

  これ以上彼に変な表情を見られたくなくて、思わずうつむいて

 しまった。真っ赤な顔をして、目を見開いて……。これではまるで

 血色だけはいいゾンビ状態ではないか。

  うつむいた視線の先には、彼のスニーカーと煉瓦敷の地面が

 暗がりの中に浮かび上がる。そしてたった今、もっとショッキングなことに

 気付いてしまったのだ。

  ここは。ここは……。外で。駅前で。周りにも人がいっぱいいて。

  近くには同級生や、近所の人や、知り合いがいるかもしれない

 公共の場で……。なのに今、ここで何をしてしまったのだろう、と。

  優花は頭のてっぺんから急激に血の気が引いていくのがわかった。

 「ま、真澄ちゃん。大変だよ。こんなところにいたらダメだって。早く

 帰らなきゃ。今わたしたちが、その。やったことだけど。誰かに見られて

 いたらどうするの? 大変なことになるよ」

  優花が身をひるがえし、早くここから立ち去ろうと彼の手を引っ張る。

  するとクックックッと笑う声が聞こえて、そのまま背中から抱き寄せ

 られてしまった。彼が変だ。いつもの真澄ちゃんじゃない。人が大勢

 いる中でそんなことをする彼が優花には信じられなかった。

 「ねえ、ダメだって。真澄ちゃん、やめようよ」

  もがけばもがくほど、彼の腕がしっかりと優花を抱きしめる。

 「今夜は許されるんだよ。こういうことも。多分ね。周りを見てみろよ。

 誰も俺たちのことなんて見てないから。みんな、自分たちのことで

 精一杯だ。ツリーはきれいだし、音楽も鳴ってるし。こんなちっぽけな

 高校生同士の戯れなんて、誰の目にも止まりはしないって」

  優花は周囲をぐるっと見てみた。チラッとこっちに視線を向ける

 人はいても、興味本位に立ち止まって覗き見る人はいない。

  みんな光り輝くツリーと、横に並ぶ大切な人に心を奪われて、他人の

 ことまで気にする人はいないということらしい。

 「な? 言ったとおりだろ? 」

  後ろ向きの優花を抱き寄せたまま彼が背後でそう言った。

  うん、そうだね、と言ってそのまま彼に身を委ねる。彼のぬくもりを

 感じながら、ぼんやりとツリーを眺める。ゆったりと流れていく二人の

 時間が愛おしくて、ずっとこのままでいたいと思った。

  優花は次第に身体中の力が抜けていくのを、彼の腕の中で静かに

 感じ取っていた。

 

 「……実は、俺。おちこぼれだったんだ……」

 「うん。……って、え? な、何? 今なんて言ったの? 」

  それはあまりにも突然すぎて、優花は自分の耳を疑った。絶対に

 聞き間違えたと思ったのだ。その言葉の真意を確かめるべく、彼の

 顔が見えるようにくるりと前に向き直ろうとしたのだけど。

 「あ、動かないで。そのままで聞いて欲しい。こんな話、本当はゆうに

 聞かせたくなかったんだけどな」

  優花は結局彼に背を向けたまま話の続きを聞くことになる。

 「俺の転校した高校のことなんだけど……」

  ゆっくりと話し始める彼の声にじっと耳を澄ませた。

 「たまたま定員に空きがあって、じいさんの家から一番近い県立高校に

 入ることができたんだけど。そこが、めちゃくちゃ、偏差値の高い高校 

 なんだ。俺のおやじもそこには行けなかったし、親戚でも何人もいるわけ

 じゃないくらい、名門の高校なんだ」

 「へえー。すごいね、真澄ちゃん」

 「すごいわけないよ。あくまでもたまたまだから。一般入試では多分

 俺の成績では無理。勇人ならギリセーフくらいの高校なんだ。

 クラスのやつらがみんなかしこそうに見えて、俺なんかがここにいて

 いいのかと思えるくらい、なんか場違いなところで……」

 「真澄ちゃんなら、大丈夫だよ」

 「なわけない。っていうか、日に日に自分の力のなさに落ち込む

 ことが増えて。完全に落ちこぼれているって自覚したのが十二月に

 入ってからなんだ。後期テストは二月なんだけど、中間テストに

 あたる試験が十一月の末にあって、ことごとくやられた。惨敗だった」

 「そんな……」

  それが本当のことだとはすぐに信じられない。真澄ちゃんが勉強に

 苦しんでいるなんて、考えられないことだった。

 「テストの後、ずっと補習があって。俺ももれなくそこに閉じ込められて

 にっちもさっちも行かなくなったんだ。平均点以下のやつは全員

 補習を受けなきゃならない。俺はなんとか平均は取れたけど、謎の

 転校生に学校は甘くはなかったというわけだ。前期のテストを

 抜き打ちで解かされて、悲惨な結果をつきつけられ、このままでは

 二年に進級するのも危ないとまで言われたよ。まさしく人生のどん底

 を味わっていたんだ。勉強と家の手伝いに追われて、ゆうに電話すら

 できなかった。本当にごめん」

  真澄ちゃんが優花の後ろ髪に顔をうずめるようにして謝る。

 「いいよ、そんなこと。でも、もっと早く言ってくれたらよかったのに。

 勉強が大変なんだってわかってたら、わたしだってこんなに悩まな

 かったのに……」

 「ごめんな。ゆうが俺のことを心配してくれているのは、昨日の電話で

 よくわかった。でもな、自分が落ちこぼれだってこと、ゆうに言えるか?

 言えないよ。死んだって言えない。俺にだってプライドってもんがあるしな。

 それに意地だってある。絶対に負けられないって思ったから、必死に

 なって補習を受け続けたんだ」

  彼の負けず嫌いは誰もが知るところだ。陸上大会の結果にもそれは

 顕著に表れている。

 「それで、補習はうまくいったの? 」

  優花は首のあたりに巻きつくように掛けられている彼の手に自分の手を

 重ねて訊ねた。

 「ああ。年内は二十八日まで学校に通って受ける予定だったんだけど

 今朝、昨日の確認テストの結果が出て。補習を受けている誰よりも先に

 そこから抜け出せたんだ。数学と化学は満点だった」

 「すごいよ、真澄ちゃん! がんばったんだね。それで、急に来てくれたの? 」

  心からすごいと思った。そんな優秀な人ばかりの高校で、満点を取るほど

 努力した彼に以前にも増して尊敬してしまう。

 「うん。それでゆうを驚かせようと思って、マンション前に着いてから、ゆうの

 スマホに連絡を入れたら、既読にならない。電話もつながらない」

 「あ……。ごめんなさい。だって、クリスマスコンサートを聴いてて、ホール

 内では、電源を……」

 「そうだったんだよな。でもな、ゆうがコンサートに行ってるなんて知らない

 俺は、なんだってこんな時に繋がらないのかって、マジで自分のスマホを

 道に投げつけそうになったよ。気を取り直して勇人に連絡したら、コンサート

 に行ったって教えてくれて。もちろん、悠斗のことも聞いた。で、大急ぎで

 市民会館に向かったんだ。ゆうは知らなかったんだろ? 悠斗がおまえ

 狙いだったってこと」

 「え? あ、まあ……」

  心臓がどくっと跳ねた。最初のうちは本当にクッキーの気持ちには

 何も気づかなかった。でもコンサートが終わったあとのクッキーは

 そんなこともありかなと思わせる態度を取っていたのは事実だ。

  不穏な空気を察した優花は、彼の執拗な夕食の誘いを断った。ふら

 ふらと誘惑に乗るほど、優花には浮ついた気持ちはなかったと言い切れる。

 「勇人も悠斗の気持ちには気付いていたみたいだ。だから早く市民会館に

 行けって、あいつが俺の背中を押してくれた。それともうひとつ。今日は

 勇人ともデートしたんだって? まあ、本城も一緒だったらしいから

 それは許すけどな。他の男の誘いにはもう二度とのらないで……」

  そう言ったあと、また彼にぎゅっと抱きしめられる。

  しばらく沈黙が続いた。点滅するツリーの灯りを眺めていると背後で大きく

 息を吸ったような気配を感じる。

  そして……。

 「……好きだ。ゆうかのことが、ずっと好きだった」

  周りの音が何も聞こえなくなって、行き交う人々の動きもピタリと止まって。

  彼の声だけが優花の中で何度もこだまする。

  その言葉意味をかみしめた時、優花は再び彼の腕の中で息が止まるほど

 驚いて、大きく大きく目を見開いた。

  じわっと膨れ上がる水のかたまりがツリーの灯りをにじませ、優花の頬の上を

 すーっと伝って降りていく。

  そして。涙が一粒、重なった二人の指先に、はらりと舞い落ちた。

  

 

 

 了

  

  

 

 

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