そばにいて クリスマス編 10
4.忠告 2
「だから、ゆうちゃんが誘われたってのは、もしかしたら家族に
割り当てられた座席なのかもしれないな。行ってみればわかる
よ。多分、立ち見が出るくらい盛況なはずだから」
優花は膝の上に載せたファーのバッグを無意識のうちに両手
でぎゅっと握りしめ、マンション内でクッキーと出会った朝のこと
を順を追って一つずつ思い出していた。
コンサートにはちょっとだけ顔を出してすぐに帰ることにすると
言って二人を安心させ、優花はたった今、ケーキ店を出たばかり
だ。気分転換になるのなら、少しくらいは聴きに行ってもいいかも
しれないね、と次第に柔軟な態度に変わってきた絵里に見送られ
たのだが、その隣で勇人君は始終気難しそうな顔をしていて別れ
際に手を振ってくれることもなかった。
勇人君は昔から誰よりも生真面目で、男子には珍しいくらい、細か
いところによく気が付くし、世の中の仕組みにも詳しいそんな人だった。
けれど、クッキーのことでそこまで深読みする必要はないのではと
思っている。彼とはたまたま偶然、登校途中でばったり会っただけ
なのだし、強引に誘われたわけでもない。
部活のコンサートくらい、誰でも気軽に誘い合ったりするだろうし
到底そこに特別な意味合いがあるとは思えなかった。たとえ真澄
ちゃんに知られたとしても、胸を張って真実を伝える自信がある。
優花はコンサート会場に向かって歩きながら、無性に腹立たしく
なってきた。たかだか近所の同級生の部活の応援に行くだけで
どうしてここまで指図されなければならないのだろう、と。
徐々に行き場のない怒りが込み上げてくる。
何も間違ったことはしていないのだ。もっと自信を持って堂々と
していればいい。
優花は花のモチーフが編みこんであるお気に入りのマフラーを
巻きなおして、冷たい北風が吹くスクランブル交差点を小走りで
駆け抜けた。
二十分くらい歩いただろうか。市民会館のグレーの壁が見えてくる。
つい最近建替えたばかりのこの施設は、市民にとっても自慢の
ホールだった。最新の設備を備えていて、音響も国内では三本の
指に入るくらいのクオリティーを誇っている、らしい。
大ホールでは今後開かれる予定の様々なプログラムが目白押しだ。
海外の有名オーケストラによるニューイヤーコンサートを始め、ピアノ
リサイタルや、ミュージカルなどの告知が派手な垂れ幕に描かれていた。
クッキーのコンサートは中ホールだ。会場前には手作りの看板が立て
かけられていて、その前には学生や親たちの長蛇の列が出来ていた。
最後尾を見つけてそこに並んだとたんすぐ後ろに人が並び、一分も
経たないうちに何十人もの人が優花の後に連なった。
ぞろぞろと列が進み、ようやくたどり着いた受付で、ふと不安になる。
というのも、周囲の人は皆、チケットのようなものを持っていて、受付
でもぎとられ半券をもらっている。優花はそんなものは持っていなかった。
あるのはクッキーにもらったパンフレットだけだ。
おそるおそるそれを出すと、受付の人からあちらへどうぞと隣に待機
している部員らしき生徒のところへと促される。一年生らしき部員の人に
どなたの紹介で来られましたかと訊ねられた。
「あの……。久木君の紹介です」
と優花が答えると、そこにいた二人の女子生徒が顔を見合わせ、小声
で何かを言い合った後、優花に意味ありげな笑顔を向ける。そして、
「本日はお越しいただきありがとうございます」
と必要以上に大きな声で言われ、彼女たちの手元にあった名簿らしき
書類にチェックをされた。
新たに詳細なプログラムをもらい、会場内に入って行く。ほとんど人で
埋め尽くされている様子に半ば驚きながらも後方部の端の方に空いて
いる席を見つけ、そこに座った。場内アナウンスの指示に従いスマホの
電源を切り、改めてホール内を見渡した。
勇人君の言ったとおりだった。さっきまでちらほら空いていた席もあっと
言う間に人や荷物で埋まり、空席を求めてさまよう人々が通路を行き交う。
とたん背筋に緊張感が走る。もし、勇人君が言ったことが真実である
ならクッキーは嘘をつき、半ばだまし討ちのようにしてここに導いたこと
になる。優花は胸に手を当てて大きく深呼吸をする。
絶対に大丈夫。クッキーは一人でも多くの人に演奏を聴いてもらいた
かっただけなのだと自分に言い聞かせる。
舞台にはまだ誰もいない。指揮台を中心に扇状に並べられた椅子と
譜面台が暗がりの中にぼんやりとシルエットを浮かび上がらせている。
今ならここを出ることも可能だ。やっぱりコンサートに行くのはやめ
たよと言って、絵里たちと再び合流すればいい。
しかし。根拠もない憶測で久木との約束を破ってもいいのかと自問
自答を繰り返す。あの日、満面の笑みを浮かべて手を振っていた彼を
こんなにも簡単に、勝手な事情で切り捨てることができるだろうか。
優花はとうとう何も決断できないまま、開演を告げるアナウンスを
聞いていた。
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