そばにいて

 

 

 

 29.行かないで 1

 

 

 

 

  でも時が止まっていたのは、ほんの数秒間の出来事。

  吉永、久しぶり! というクラスメイトの第一声で、瞬く間に打ち消され

 てしまったのだ。

  まるで優花の存在など初めからそこになかったかのような態度で顔を

 背け、クラスメイトにもみくちゃにされながら、座席にたどりつく。

  チャイムが鳴り六時間目の授業が終わると、彼がおもむろに立ち上がり

 お世話になりましたと言って、化学の先生に頭を下げた。先生が彼の

 そばに寄って来て、向こうでもがんばれよとエールを送る。

  はいと言ってはにかむ彼に、教室のあちこちからがんばれ、と声が

 かけられる。クラスのどの顔も、まだみんな笑顔のままだ。優花も笑って

 いる。みんなと一緒に笑顔をまとっていた。

  でも本当は笑ってなんかいない。笑顔の仮面の裏では、心臓が痛く

 なるほどの悲しみに襲われていた。

  真澄ちゃんがこの教室にいるのも、そして一年五組のクラスメイトなのも

 今日で最後なのだ。この一瞬一瞬が大切で、愛おしくて。このまま時が

 止まればいいのにと、本気でそう思った。

  ホームルームが始まって彼がみんなの前であいさつをしている時も

 男子たちがおもしろおかしく次々に別れの言葉を並べている時も、優花は

 ただひたすら下を向いて、机の上の木目をじっと凝視していた。

  絶対にここでは泣かないと決めたから。最後まで笑顔で見送ろうと決めて

 いたから。打ち寄せる波のように繰り返し胸の奥から込み上げてくる涙の

 塊を、必死の思いではねのける。

  この後、絵里が彼を呼び止めて、図書室裏手のベンチに来てもらうことに

 なっている。告白を受け入れてもらえなくてもいい。この気持ちをわかって

 もらえるだけで十分だと思っていた。

  もう一度ラインを復活させて、メッセージのやり取りだけでもできたら嬉しい

 と頼むつもりでいる。

  ホームルームが終わっても、彼はまだ男子生徒に囲まれていて、当分

 解放されそうにない。違うクラスからも陸上部仲間や中学の同級生たちが

 集まって来て、教室内が人であふれかえっている。

  そろそろ行くよ、とみんなの輪から立ち去ろうとする彼に、すかさず絵里が

 アタックを開始した。

 「吉永。ちょっと待ってくれる」

 「えっ、なに? 本城、何か用か? 」

  絵里と真澄ちゃんのさりげない会話が始まる。優花は先に廊下に出て

 二人のやり取りをこっそりと目で追っていた。

 「今から少し、時間ある? 」

  絵里がさらりと訊いた。

 「ああ、少しなら」

  彼もすぐに答えた。

 「じゃあ、この後、図書館裏手の……」

 「ベンチ? 」

  彼がそう言った瞬間、廊下に立っている優花と目が合った。もしかして

 絵里の魂胆をすでに見抜かれているのだろうか。優花のありえないほどの

 緊張感などおかまいなしに、二人が並んでこちらに向かって来る。

 「そう。ベンチで。ちょっとだけ話したいことがあってね」

 「本城が? 」

 「あたしじゃ、ないし」

  絵里の段取り通りにシナリオが進んでいく。いくら決心したとはいえ、やはり

 ドキドキは止まらない。足まで震え出す。

  麻美が欠席している日に、抜け駆けするみたいで心苦しいが、優花には

 もう今日しか残されていないのだ。

  昨日絵里が大園医院に麻美の様子を見に行ったら、風邪で寝込んでいる

 からと、家の人に追い返されたらしい。絵里が困惑の表情を浮かべながら

 優花に教えてくれたのだ。麻美に何かが起こっているだろうことは想像が

 つくが、だからと言って、優花の決心が覆ることはない。

  いつも親身になって心を砕いてくれる絵里の優しさに報いるためにも、今日

 は絶対に目的を遂行すべきなのだ。

  優花は決意も新たに深く息を吸い込み、その時に備える。

 「本城じゃないとなると、誰なんだ? 」

  彼の声がはっきりと聞こえる。

 「ふふふ。それはお楽しみ、っていうか、吉永はもうわかってるんでしょ? 」

  彼がまた優花を見る。恥ずかしさのあまり、目を伏せた……その時だった。

 

 「優花? 優花だよね」

  聞き覚えのあるその声に優花はふと顔を上げる。廊下の向こうから駆け 

 寄って来るのは。

  麻美?

  なんで麻美がここに?

  今日も欠席だったはずなのに、なのに、どうして?

 「優花、ねえ、彼はいるの? 真澄君、今日、学校に来てるって聞いて……」

  ハアハアと肩で息をしながら麻美が優花に詰め寄る。

 「ま、マミ……」

  優花は目を見開き、再び教室の中を見た。すると彼が絵里に小声で何かを

 話し、メモのようなものを手渡すのが見えた。

 「ねえ、優花、真澄君は? 」

 「あ、ます……いや、吉永君なら教室の中に……」

  最後まで言い終わらないうちに、麻美はすでに教室に足を踏み入れていた。

  

 

 

 

 

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