そばにいて
22.ふたり 2
今吉永君が発した言葉に絶句する。もしも、俺が帰って来なかったら
とは、どういう意味なのだろう。おじいさんのお見舞いのために長野に
行くのに、どうして帰って来ないなどと言うの?
ドクドクと動き始めた心臓が、にわかに鼓動を早める。
「お、おい。そんな顔するなよ」
「で、でも……」
息も心臓も止まるくらい衝撃を受けたのは事実だけど、吉永君を心配
させるくらいの顔って、どんなだろう。手元に鏡はないし、あったとしても
街灯の明かりだけでは見えそうにないが。
「ゆう、勘違いしないでくれ。俺の言い方が悪かったのかも。向こうにいる
滞在期間が長引いても、心配するなって言いたかっただけだから。大園
にもそれは言ってある。だから。ゆうも。その、この前みたいに変なヤツ
に惑わされないように、元気でいろって、そう言いたくて……」
「真澄ちゃん、なんか変。わたしには、もうここには帰って来ないって風に
聞こえる。まさかこのまま長野に行ったきりってことはないよね? 真澄
ちゃん、ねえ、教えて」
優花は必死になって彼に詰め寄った。腕を掴んで揺さぶる。絶対に
帰って来るという言葉を聞くまでは、何も信じられない。
「何言ってるんだよ。あたりまえだろ? 行ったきりとか、そんなことある
わけない。その証拠に、学校にだってそんな話はしてないからな。ただ
すぐには帰って来れないって事情もあるんだ。ぶどう園の手入れとか
いろいろな。田舎はこっちと違って、昔からのしがらみとか、付き合い
とかもあるし。それに高校の転校とか、そんなに簡単じゃないだろうし。
まあ、大園の場合は私学だし、実力も家の力も半端ないから、学校側
から特待生扱いで招かれるんじゃないのかな。俺みたいな一般学生
には到底、無理な話で」
「真澄ちゃんなら無理ってことはないと思うけど。でも、転校とか、現実
的じゃないのはわかる。そっか、そうだよね。帰って来るに決まってる
よね。変なこと言ってごめんね」
優花は彼を掴んでいた手を離し、気持ちを落ち着けるように深呼吸
をした。吉永君のお父さんはぶどう園を継ぐ気はないと言っていたのだ。
だから家族みんなで長野に永住なんてことはないはずだ。優花はまだ
心のどこかにもやもやとした物を感じながらも彼の言ったことを信じよう
と自分に言い聞かせる。
ちょうど気持ちが落ち着きかけたその時に、吉永君のズボンのポケット
あたりから携帯の着信音が聞こえた。スマホを手にした彼が、ごめんと
言って、隣で話し始めた。
「あ、うん。わかった。すぐに帰る。……ああ、小学校近くの公園にいる。
じゃあ、後で」
話し終えると、スマホを再びポケットにねじ込みながら立ち上がった。
「おやじからだ。ゆう、ごめん。そろそろ帰るよ。長野から帰ってきたら
授業のノート見せてくれる? お礼はぶどうジュースってことで」
彼がクククッと笑う。
「お礼なんていいよ。そんなこと気にしないで。あたしのノートなんて
あんまり役に立たないと思うけど、ちゃんと勉強してまとめておくから。
学校のことは気にしないで、長野に行ってきてね。さ、早く。家でお父
さんが待ってるよ」
優花は足早に先頭を切って歩き始める。すぐに追いついた吉永君が
横に並んだ。けれどもう一度優花の手に彼の手が重なることはなかった。
何も話さずに、ひたすら歩道を歩いていく。彼の心の中は多分、長野の
おじいさんのことでいっぱいなのだろう。
おじいさんの病気がよくなったら。彼が長野からちゃんと帰ってきたら。
その時は、今度こそ自分の気持ちをはっきりと伝えようと思う。今日は
彼に好きだと告白するつもりだった。けれど、おじいさんの話を聞いて
しまった今となっては、もう何も言えない。
そして。気持ちを彼にぶつけた後、吉永君が麻美を選んだなら。今度
こそ彼のことをきっぱりとあきらめようと決心したのだ。
優花は風に当たって冷たくなった右手をぎゅっと握りしめて、彼の歩調
に合わせて帰路を急ぐ。
結局最後まで黙ったままで、二人そろってエレベーターに乗った。あっと
言う間に三階に着き、彼が降りるのを中から見送る。すると、彼が閉じよう
とする扉のボタンを押さえ、優花を見て言った。絶対に帰って来るから、と。
その目は真剣だった。嘘を言っている目ではなかった。
でも優花の耳にはそうは聞こえなかった。
俺はもう帰ってこれないかもしれない、ゆう、ごめん。そんな声が、優花の
心の奥にずんと響いていた。
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