そばにいて

 

プロローグ 2

 

 

  階段を降りて行くと三階の踊り場に少しだけ立ち止まり左手奥の廊下を

 眺めるのが彼女のもう一つの日課だ。

  お目当ての五つ目の扉は、いちいち数を数えなくても一目で彼の家だと

 わかり、優花の目にまっすぐに飛び込んでくる。

  小学校一年生の時からここに住んでいるだけのことはあって、その光景は

 優花の網膜にくっきりと焼き付いていて、他の家と見間違うことはまずない。

 

  そして、ごくたまにではあるのだが、吉永君がエレベーターホールに立って

 待っているところにばったりと出くわすこともある。

  三階だと階段で降りる方が早い場合もあるのに、彼は絶対にエレベーターを

 利用する。

  そんな時、階段の踊り場にいる優花をチラッと見て、黙ってそのまま

 エレベーターに乗り込んでしまう。

  もしかしたら、ほんのわずかの間も優花のことなど見ていないのかもしれない。

  いつも、こいつ、誰? みたいな顔をして、どこまでも無愛想なのだ。

 

  全く知らない間柄ではないが、中学生になった頃からもう三年半もお互いに

 口をきいていない。

  それでもいい。無視されても目をそらされてもいい。

  学校に行けばずっと同じ教室で勉強できるし、クラスの仲間たちとしゃべって

 いる声も聞ける。

  どんなに冷たくされても、当分階段を使うのを辞めないつもりだ。

  吉永君が生活している三階をちゃんと自分の足で踏みしめないと、新たな

 一日はきっと始まらないと信じている。

  それに、万が一、エレベーターに乗っていて彼と二人きりになることがあると

 したら、あまりの緊張感で優花の心臓が悲鳴を上げるに違いない。

  あるいは、六階からエレベーターで降りてきて、三階のドアが開いた時

 そこに待っている吉永君と目が合ったとたん、彼が身体をひるがえして

 その場から立ち去ってしまったとしたら……。

  優花はショックのあまり、もう二度と立ち直れなくなってしまうだろう。

 

  今日は、彼に会わなかった。もう一本後のバスでも十分学校に間に合うので

 まだ家にいるのかもしれない。

  優花はバスに乗り込み、窓から遠ざかって行くマンションをぼんやりと眺め

 ながら、ふうっと安堵のため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

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