5.店主の秘密 その2






「私ね……。もうわかってると思うけど、失恋しちゃってさ。いい年してかっこ悪いよね」
「そんなこと……」

 そうだったのか。鈍感だと思われても仕方がない。彼女の口から語られるまで、失恋が原因で荒れていただなんて気づかなかった。

 いい年してかっこ悪いのは美桃の方だと、つくづく自分の至らなさを申し訳なく思う。

「私と結婚してって彼に言ったら、無理って即座に断られた。意味わかんないし。絶対向こうは、私のことが好きだって自信があった。ほら、何となくそういうのってわかるじゃない?」

「ええ、そうですね」

 これには思わず同意する。美桃にも心当たりがある。相手の気持ちは自然と伝わってくるものだ。

「別に自慢するわけじゃないけど、私、これまで男に振られたことなんて一度もないの。ある時は自然消滅だったり、ある時は煮え切らない態度の相手にこっちから見切りをつけたり。とにかく男から切られたことはなかった。なのにあいつときたら。バッサリなんだもの。仕事も辞めて、彼が立ち上げた組織団体を支えていこうと覚悟を持ってプロポーズしたのに、このありさま。もうどうでもよくなっちゃって。一目散にこの村に逃げてきたの。ホント、笑っちゃうよね。あ、私の名前は光村サト。年は三十歳」
「サト、さん……」
「うん。私はどっちかっていうと、ミサトとか、サトミの方がかわいくて好きなんだけど。何を思ったのか親は昔話風の名前を付けちゃったってわけ。人生うまくいかないよね、まったく。さて、この後、どうしようかな。仕事も辞めちゃったから、お金もないしね。実家に帰るったって、誰も歓迎してくれないし。泣くだけ泣いたら、まずは職探し。で、あなたは? なんでこんなところに紅茶屋さん?」
「ここは。……夫の思い出の場所なんです」

 美桃は窓の外に視線を向けながらゆっくりと話し始めた。


「学生時代にバックパッカーをしていた夫が、たまたまこの村に立ち寄ったのがきっかけなんです。それで住民の方によくしてもらったと聞いてます。急な雨でずぶぬれになって村をさまよっていると、村の人たちがそんな素性の知れぬ怪しい若者を親身になってもてなしてくれて、その上、泊まるところまで無償で提供してくれたそうです。それから、事あるごとにこの村での二日間の出来事を話してくれて、いつしか私も行ってみたいなとあこがれるようになりました。それで念願かなって、ここで店を出すことになった、というわけです」
「ふーん。そっか、旦那さんの影響なんだね。ラブラブでうらやましいぞ」

 サトさんが少し不満そうに口をとがらせる。でもその目は決して怒ってなどいなかった。冗談だよといたずらっぽい目をしている。
 けれどやはり空気を読めない発言だったと自分の失態を認めざるを得ない。サトさんは、失恋したばかりなのだ。

「あ……。ごめんなさい。サトさんのお気持ちも考えずに、夫の話なんかしてしまって」

 プロポーズを断られて落ち込んでいる彼女に向かって、うかつにも伴侶の話をしてしまった自分が情けなくなる。

「なに言ってんの? そんなの気にしないで。この店のことを聞いたのは私なんだから。やっぱ、この村の人って、そんな感じなんだ」
「そんな感じって……」
「あのね、私の好きになったその人も、この村つながりなんだ。ここの出身かどうかまでは知らないけど、この村の写真が彼の部屋に飾ってあってね。ちょうど今頃の季節の写真だった。それがまた、きれいな雪景色なんだ。これ、どこ? って聞いたら、この村だって教えてくれて。それっきりその話には触れなかったんだけど、夕べ彼に振られて、真っ先に浮かんだ場所がここだった。始発の電車に飛び乗って、はるばるここまで来ちゃった。夏に彼に内緒で一度来たことがあるから二回目ね。そしたらどう? 写真と同じ雪景色があたり一面に広がっていて。とんでもなくきれいな景色なのに、なぜか泣けてきて……」

 サトさんが唇をかみしめ、小さく肩を震わせていた。


「よかったら、もう一杯どうぞ」

 サトさんの涙が収まった頃を見計らい、美桃は新たに淹れた紅茶を彼女のカップに注ぎ、勧める。

「あ、ありがとう。何回も淹れなおしてくれてごめんね。もう三回目よね。ちゃんと代金は払うから」

 指で涙のあとをぬぐいながら、サトさんが言った。

「サトさん、そんなことは気にしないで下さい。私が勝手に淹れなおしているだけですから。それにこれは私の分なんです。半分こですよ。お願いです、サトさんのお話、もう少し聞かせてもらってもいいですか?」

 美桃は自分のカップにも紅茶を注ぎ、まつ毛を涙でぬらしているサトさんに話を続けるよう促した。こうなったらすべてをここで吐き出して、少しでも心を軽くして欲しいと思ったのだ。

「ありがとう。店員さん、あなた本当に優しいのね。そうだ、店員さんの名前、まだ聞いてなかった。教えて。なんて名前?」
「あの、えっと、桜野……美桃、です」
「桜野さん? へえ、桜野さんなんだ。じゃあ、桜野さん、ひとつ聞きたいことがあるんだけど。どうしてもこれだけは聞いておきたいんだ」

 サトさんが美桃をまっすぐに見てそう言った。美桃は彼女の問いかけよりも何よりも、美桃という名前に全く触れることなく、さらりとかわされたことに意外性を感じていた。
 一番目のお客さんだったさよさんに説明したのと同じ内容を、再び繰り返すのかと幾分ナーバスになっていたが、こうもあっさりとスルーされるとそれはそれで物足りなさを感じてしまう。
 どんな漢字で美桃という名前が構成されているのかを語ることで、これまで幾多の人々とコミュニケーションを図っていたのだと思い知らされる。人間って、やっかいな生き物だ。


「ねえねえ、桜野さん? いい? 」
「え? あ、はい、大丈夫です」

 サトさんに念を押されてしまった。あわてて今向き合っている現実に意識を引き戻す。

「では、単刀直入に聞きます。どうしたら結婚できるのですか? ってか、桜野さんはどうやって旦那さんと結婚にこぎつけたの? 私の何がいけなかったのか、今後の参考にしたいと思ってる。どうか、哀れな私にアドバイスを下さい。お願いします」

 サトさんはすがるようなまなざしで美桃の手を握った。






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