この本は、著者がADHDだと診断されてからの、著者の思いが綴られています。

 I  — 私は困っている
II  — 他人の体はわからない
III — 伝えることは難しい
IV — 世界は豊かで濃密だ
この目次で、本書に何が述べられているかがわかります。

小説家というのは凄いものです。
この本は、非ADHDの人には異世界への導きの書となり、ADHDの人には自らの再発見の書となっているように思います。
そのうえで、著者の「困り方」が述べられています。困っていることは充分伝わってきますが、困り方にもスタイルがある、といったところでしょうか。

<「人と違う」と判定されることで生じる軋轢についてはどうにかしたかったが、自

 分のほうを変えるとは思いつかなかった。身の回りを整えたり毎日やるべきことを

 継続したりといった「ちゃんと」「きちんと」したことをはじめ、できないことが

 多い自分のことを「だめな人間」「なにかが欠けている人間」と認識してつらかっ

 たが、好きな物を嫌いにはなれないし、好きではないものを好きにはなれないし、

 できないことはできないし、やりたいことをやるためにはどうしたらいいか方向に

 考えていた。>(136-137頁)

「地味に困っていること」の章には、自分が生活する上での困りごとが、具体的にいくつか述べられていますが、<「人と違う」と判定されることで生じる軋轢>は、本書すべての中にも、具体的にはほとんど述べられてはいません。しかし、
<(今の日本社会で最も手軽にマイナス評価のラベリングをする万能ワード、「迷惑」)。>(216頁)
と言い捨てられた言葉からも<軋轢>の深刻さが想像されます。
<自分のほうを変えるとは思いつかなかった。>と聞いて、考えてしまいます。まわりに対抗して、毅然と姿勢を変えなかった、という状況は考えにくいと思います。<自分のほうを変える>、あるいは、変えられる、ということに思いが及ぶことさえなかった、ということなのでしょう。いかに切迫した状況であったかが想像されます。
とはいえ、<やりたいことをやるためにはどうしたらいいか>と考えられたことが、たぶん、不幸中の幸いでした。それを選ばせたのが、著者のまわりの環境だったのか、その才能、あるいは他の何ものかであったのかはわかりません。しかし、その、恐らくは不可避の選択によって、現在の著者が在るのは事実だと思います。

本書のほとんどの部分は読みやすく書かれていますが、ADHDの記述は必ずしも読みやすいとは言えません。常識からずれているからです。しかし、その記述こそが読む価値があるはずです。

本書にはさらに、考えるべきことが描かれています。
< その会話の中で、ああ、当事者になるというのはこういう感じだったのか、と実

 感することがたびたびあった。それまでにも本やネット上で見てきた言葉だったけ

 れど、いざ自分が当事者としてそれを受け取る側になるとこういう感じがするの

 か、と。>(153頁)
<*「ぜんぜんそんなふうに見えない。
  「そんなふうに見えないからだいじょうぶ
  これは、おお、噂に聞いていたあれだ、と思った。>(154頁)

本書を読むことは、ADHDのみならず、当事者とは何か、ということを考える良い機会になると思います。


* 柴崎 友香 著『あらゆることは今起こる』
 しばさき ともか  あらゆることはいまおこる
 株式会社 医学書院 2024/5/15