最初に、残虐な拷問を受けながら、かろうじて生きている全裸の男が見つかりました。そして、様々なやり方で無残な拷問を受けた男の死体が次々に発見されます。
スウェーデン警察のカール・エ-ドソン警部をはじめとしたチームが捜査に取り掛かります。そこに絡んでくるのが夕刊紙の記者、アレクサンドラ・ベンクトソンです。

凄惨な描写が次から次へと出てきます。確かに目を背けたくなるような事件が多いのですが、何故常に無残な拷問が行われたのか、という謎をはじめ、幾つもの謎の存在が明らかになります。その意味で本書はまぎれもなく、ミステリーです。その解明も意外性に富んでいて、よくできていると思います。

とはいえ、700頁近い文庫の、そこそこの頁まで読み進めていくと、意外なものが見えてきます。そして、読者は、ただ謎が解ければよい、とは思えなくなっていきます。

一人の人間が、自分をどのような人間としてとらえているか? 人それぞれであることは間違いありませんが、自分のとらえ方の正しさを、それなりに信じている人がほとんどだと思います。
この作品の中では、自分の感じ方に、自分の行いに、それなりの自信を持っていた人物が、様々な記憶を、徐々に、しかし断続的に思い出すにつれ、みずからに対する自信を失っていきます。

思い出された様々な記憶は、空中に浮いているわけではありません。自分が生きる場所のそこかしこが、生まれてから過ごしてきた時間が、記憶の中に埋め込まれています。読者は、その人の記憶を通して、ある社会で、一人の人間がこれまで生きてきた姿を、知ることになるのです。

断片的に意識に浮かびあがってくる記憶は、本人の不安を掻き立てます。読者は、本人がその不安におののく様子をつぶさに見ることになります。
しかし、不安を煽っていた記憶も、意識的な確認によって、一つ一つ、その意味が明らかになっていきます。明らかになった意味は、本人にとって受け入れやすいものばかりではありませんでした。しかし、一つ、また一つと、その意味を了解していったのです。そして、本人にこれまでと決定的に異なる振る舞いをさせるまでになりました。

作中で、本人が<思い出したくない記憶>として、次のようなものがありました。
女医はなだめるように、微笑み、言うのです。
<「 …略… わたしの言う要求というのは、例えば、強くなれとか、泣いちゃダメ

 だとか、一人で寝なさい、恐れるな、テーブルマナー……そういった類の要求で

 す。そういう点ではどうですか」>(539頁)
幼い子どもに接するときの態度について尋ねているのです。これが<思い出したくない記憶>となるのですから、記憶の連鎖の中に、犯罪と日常がつながってしまう原因の一端が見えてくるのです。

本書を読み終わって、この物語の犠牲者とは誰か? と考えました。
本書を読み終わって、この犯罪の「動機」とはなにか? と考えました。
本書を読み終わって、このような結末がありうるのか? と考えました。
本書を読み終わって、スウェーデンの警察とはどのようなものか? と考えました。
本書を読み終わって、……。

*ボー・スヴェーンストレム 著 富山クラーソン陽子 訳 『犠牲者の犠牲者』
 ぼー・すヴぇーんすとれむ とやまくらーそんようこ ぎせいしゃのぎせいしゃ
 ハーパーBOOKS 株式会社ハーパーコリンズ・ジャパン 2021/11/20