伊能忠敬(いのう ただたか)。変人です。
自らの足で、日本全国津々浦々を測量し、日本地図を作成する。気の遠くなるようなこんな仕事が、常人にできようはずもないのです。

隠居をまじかに控えた忠敬の下に、行き倒れの青年が担ぎ込まれます。記憶を失っている青年を、忠敬は、空(くう)、と呼ぶことにしました。

何事かを為すためには、力がなくてはなりません。
<造り酒屋を営み、田畑を持ち、店(たな)貸しや貸し金なんかも切り盛りしている大商家(おおだな)の主人で 下総・佐原村の名主の一人だ。>(56頁)
隠居する前に、忠敬がしていたことです。
これは、有能な実業家の姿です。伊能家は、当時の豪農、大商家の豊かさを体現していた家でした。単に家だけではなく、彼個人の力量に負うところも大きかったのかもしれません。いずれにもせよ、彼には、大きな経済力がありました。

同時に、忠敬には、このころ空と交わしたこんな言葉もあります。
<忠敬 (わしはな、知りたいんじゃ! )
    (地球の道行きを‼ )
 空  (地球の道行き⁉ )
 忠敬 (何故、季節が変わり 二至二分(にしにぶん)で日の巡りが違うのか、月の満

     ち欠けがどのように起こるのか、考えたことがあるか? )
    (それがわかれば先々の事も見えてくるのだ! ) >(二至二分=冬至・夏

     至・春分・秋分 78-79頁)
あたかも青年の言葉のようです。意欲にあふれています。

いかに経済力があろうとも、忠敬は、一介の田舎の名主でしかありませんでした。しかし、忠敬は、かねてより暦学の勉強を望んでいました。隠居を機に、無謀にも暦術の師に弟子入りを志願します。とても普通ではありません。

一介の田舎の名主が、暦学の勉強を望む。それがわかった時、それを助けてくれる人がいるのかどうか、です。幸いにも、彼の周りには、いた、ということです。ここでは、妻の父親が、江戸の中央の人脈を紹介してくれました。
天才とは、集団的な現象である、という言葉を聞いたことがあります。天才の周りには、それぞれの側面で、その人を助けてくれる一群の人々がいる、ということだそうです。日本地図を作成した伊能忠敬も、その例に漏れないのでしょう。

忠敬は空に言います。
< (代々、村役人を務めてきた伊能家にとって町見術(ちょうけんじゅつ)は土地の広

   さや一起伏などを明らかにするために必要不可欠な技巧なのだ! )
   … 略 …
  (少しでも間違って境界石を置いてみろ⁉ どうなると思う⁉ )
   … 略 …
  (たちまち百姓一揆が起こる! )
  (だからわしは測量に自信と誇りを持っている! わしが伊能流だ! )>(町見術

   =測量 68-69頁)
隠居を前にした忠敬には、測量に、絶対の自信がありました。「百姓一揆」を見据えてなお、「わしが伊能流だ!」だと言い得るほどに。
忠敬は隠居の後、日本地図の作成に携わることになったわけですが、地図作成のために最も重要な道具である測量術は、隠居前の半生をかけて磨き上げられていました。実践的な技術的準備は、隠居前に整っていたのです。

第1巻は、空の事件まで含めて、背景説明といったところです。時代というもの、歴史というものについて大いに考えさせられました。続刊が楽しみです。しかし、1年後とは…。


*こやす 珠世 著『INOZ —55歳から歩いて作る日本地図— 1 』
 こやす たまよ  INOZ —55さいからあるいてつくるにほんちず—
 ビッグ コミックス 株式会社 小学館 2024/6/4