この作品は、たしかに上質のミステリーですが、それ以上に青春小説でした。

多くの人にとっての、たったそれくらいのこと、が、ある人にとっては、かけがえのないものとなる。警官になりたての青年が、それに気がつくという話です。それだけのことが、その青年の生き方を変えたのです。

羽鳥西署の地域課第2係の新人歓迎会が行われました。しかし、その新人は欠席しました。
半年の後、その新人澤田里志(さわだ さとし)巡査は、巡査部長の浦貴衣子(うら きいこ)の部下として、交番勤務となります。

バツイチの独身女であり、警備課、刑事課をへて地域課員となっている浦巡査部長も、なかなかですが、澤田巡査も世代のちがいというレベルを越えているようです。

澤田巡査は浦巡査部長にこんな話をしました。
<「僕は、子どもの時から自然体で生きてきた感覚ないですね。自然体であることの

 意味もよくわからない。」
 「そうなの? 大人しい子どもだったってことかな」
 「どうでしょう。あんまり、興味がなかったんだと思います」
 「興味が? なにに? 学校?」
 「……なににも。特に、人、他人かな」
 「あらま。それいうか。この仕事に就いて」と呆れた顔をして見せるが、里志の表

 情に変化はない。 >(53頁)

僻地ではないにしても、とても都会とは言えない町で、バイクを使ったひったくりが起こるかと思えば、外国人の殺人事件という大事件も起こります。
若者たちの問題もあれば、被害者が住んでいた外国人労働者のアパートも気になります。若い外国人妻も目に入ります。

浦巡査部長と澤田巡査のコンビは、殺人事件の被害者を見つけたことから、捜査の担当でもないのに、思った以上に事件に首を突っ込むことになりました。

<「さあ。たぶん、明日、僕が消えても誰も何も思わない、そんな関係性しかないと

 思い込んでいました」 >(176頁)
こう言っていた澤田巡査も、いつしか感情を揺さぶられるようになります。読者は、同時にミステリーの渦に巻き込まれていくのです。


蛇足ですが、大変魅力的な脇役が見つかりました。
安西芙美警備課教養係長です。浦巡査部長が苦手としている人物なのですが、目が離せなくなり、この人のスピンオフを読みたい、と思うくらいです。
< 安西は片手を腰に当て、もう一方の腕を上げ、まるで少年のように人差し指を貴

 衣子に突きつける。
 「次の昇任試験には必ず通りなさい。いいわね?」
  大丈夫、勤務評定に妙なことが書かれていたら、私が握り潰す、と怖いことをい

 って更衣室を出ていった。 >(271頁)


*松嶋 智左 著 『匣の人 巡査部長・浦貴衣子の交番事件ファイル』
 まつしま ちさ はこのひと じゅんさぶちょう・うらきいこの

               こうばんじけんふぁいる
 光文社文庫 株式会社光文社 2024/4/20