ヴィトゲンシュタインの考えた、言語ゲームは、わかりやすいものです。
<言語ゲーム:規則(ルール)に従った、人びとのふるまい>(116頁)
と考えます。 人びとのふるまいの一致があるところには、言語ゲームがある、ということです。

< 「机」のような簡単な言葉の、意味がなぜ通じるにかわからないとすると、そも

 そも、人間はどうやってお互いの言葉を理解しているのかが、疑問になってくる。

 >(117頁)

「机」の意味はどのようにして通じるようになるのか。
< 「机」という言葉を使う、言語ゲームがあります。それをみているうちに、わか

 るようになるのです。>(118頁)
< 誰か(Aさんとする)が、机は何か、わかっているとする。
  あなたが、机がなにか、わからなかったとする。
  そこでAさんは、いろんな机を順番にもってくる。これも机。これも机。どの机

  も、ちょっとずつ違っている。形が違う。脚の数が違う。大きさが違う。色が違

  う。材料が違う。……。でも全体として、どこか似ている。 … 略 … それ

  を順番に見ていくうちに、あなたはやがて、机がなにかを理解する。そして“わか

  った!”と叫ぶ。
  わかってしまえば、もうそれ以上、机を持ってきてもらう必要はない。>

  (118-119頁)

ここまでで、わからないことがある、という人はいないだろう。しかし、次に続く以下の言葉はどうだろうか?


<  なぜ、わかったのか。
  それはわからない。とにかくわかった。では、机とはなにか。説明できるとは限

  らない。定義できるとは限らない。 >(119頁)


戸惑いはある。しかし、その通りとしか言いようがない。そして“なるほど!”と叫ぶ、ことになる。

この机の言語ゲームは、言語ゲームのエッセンスである。それに続く数列の言語ゲームも、重要な論点を多く含んでいる。しかし、どんな発想、思考法、公式も、実際に解かれた問題を検討してみない限り、その価値はわからない。より正確には、自らが、己の問題を解いてみて、初めてその価値を実感することになる。そういう意味で、本書後半の記述は、演習問題の解答の実例として、大変興味深い。
第8章 1次ルールと2次ルール
第9章 覚りの言語ゲーム
第10章  本居宣長の言語ゲーム
順に、法学、仏教、国学を中心として多くの事柄を扱っているが、第10章が最も興味深かった。

宣長について問う。
<どうしても日本が優位でないと気のすまない狂信的な自民族中心主義者なのだろう

 か。
  そうではない。
  宣長の主張を、こう理解すればよい。>(224-225頁)
として展開される主張は、大枠の説明に、初めて説得力を感じました。言語ゲームの威力を感じるものでした。

この本は言語ゲームの最高の入門書です。

* 橋爪 大三郎 著 『はじめての言語ゲーム 』
 はしづめ だいざぶろう  はじめてのげんごゲーム
 講談社現代新書 株式会社講談社  2009/7/20