本書は七篇の短篇からできています。

それぞれの作品の主人公は様々です。旗本の妻、地方の紙問屋主人、下級藩士の厄介叔父(やっかいおじ)、藩の江戸屋敷の御小姓頭取、大名家の下男の一季奉公人、表右筆の家の次男、下級旗本の次男で学問吟味の受験生という顔ぶれです。

主人公は様々ですが、描かれていることは、ほとんど同じことだと言っていいものです。
主人公は、それなりの生き方をして、大過なく日常生活を送っています。そこに事件が持ち上がり、それに対するそれぞれの対処を通して、何を為したいかを自覚して事に取り組むようになる、というところです。

第二話「町になかったもの」について見てみます。

紙問屋の衣川屋晋平は、町年寄、長町人の二人とともに江戸に上ることになります。若輩の晋平が同行することになったのは、江戸の御番所に訴え出るについて、晋平の漢文の力が必要とされる、ということのためでした。

<おそらく、正しく学問を積んだ人々にとっては『経典余師(けいてんよし)』は眉を

 ひそめる書物でしかなかろう。 … 略 … わかりやすい注釈を加えて偉い経書を

 下々(しもじも)の世界まで引きずり下ろした『経典余師』は書物と地本(じほん)の

 狭間にある。雑本まがいの”そんなもの”で漢文を読めるようになってしまってみれ

 ば、誰にということではなく申し訳ないような気もしたし、一方で、”そんなの”で

 漢文を読めるようになってしまった己に自信のようなものも湧いた。
  その自信はささやかではあったけれど、 … 略 … 晋平を仲買人から在郷問屋へ

 と押し上げた。つまりは、皆が皆、江戸、江戸と謳うなか、江戸とは無縁に己を成

 り立たせてきた。 … 略 … それをいまになって江戸と縁づいたら、ここまでの独

 修の世界を冒(おか)してしまうような気持ちを拭(ぬぐ)い切れなかったのである。

 >(46-47頁)

晋平は、漢文についての自分のやり方に、独修に、自信は持てました。しかし、正規のやり方ではないことに、何となく引け目も感じていました。これまで江戸に行かなかったのも、その引け目のためでした。

晋平は、江戸で思わぬものを見出すことになりました。
あらゆる書肆の店頭に『経典余師』が並んでいました。しかも、晋平が使用した四書用の『経典余師』だけではなく、漢文の他の書物を読むために、何種類かの『経典余師』が、多数用意されていたのです。更には、土産物屋の何軒かにも置かれているほどでした。

< なんで土産物屋にまで並ぶのか……。応えはひとつしかなかった。
  二宮尊徳や晋平のような人間が、もはや例外の変わり者ではなくなっているとい

 うことだ。
  学びを独修して見知らぬ己に出会おうと希求する者が、学びで己を変えようとす

 る者が、江戸、地方の別なく群れを成している事実に『経典余師』は光を当てた。

 >(52頁)

まさに時代は変わっていました。晋平にもはや引け目はありませんでした。そして、ある決心をします。自分が思い描いた構えの、書肆を開いたのです。

< 町に初めての書肆ができたと知って店に来ていただいたお客様のなかには品揃え

 を目にして落胆の色を隠さなかった人もすくなくないけれど、自分の店にはこの構

 えがふさわしいと晋平は思っている。
 『経典余師』や蘭山(らんざん)は確かにまがいものかもしれない。けれど、自分は

 そのまがいものでここまで変わることができた。
  たとえ、まがいものでも、その生み出すものはまがいものとは限らないことを誰

 よりも知っているのが自分だ。
  この地で、『経典余師』や蘭山を商うとしたら自分しか居ない。何者かに先に手

 を着けられたらずっと悔いつづけることになる。>(58-59頁)

悔いの無い生き方をしている、と思える人がどれだけいるのでしょう。
例え物語のなかであっても、そういう生き方をしている人の姿を見ることは気持ちがよいものです。

*青山 文平 著『江戸染まぬ』
 あおやま ぶんぺい えどそまぬ
 講談社文庫 2023/8/10