「本の雑誌」が2号から9号まで発行される間の、経緯が語られます。お決まりの路線論争から、同志との別離、目黒が「新宿・石の家2階のクーデター」と呼ぶ事件等、様々なことが起こります。

それにしても、北上次郎という人間が、此の世にいない、と感じた時はショックでした。

30年ほど前、同僚が「本の雑誌」のファンでした。彼は、『さらば国分寺書店のオババ』について熱心に語る、椎名誠のファンでもありました。

彼の熱気にあてられたのかどうか、私も「本の雑誌」を読むようにはなりました。
見た目からして他の雑誌とずいぶん雰囲気がちがいましたが、記事には書き手の個性が感じられました。とはいえ、同僚が頻繁に口にした椎名誠と稀に口にする目黒考二という名前以外には明確な記憶がありません。北上次郎という名前は、「本の雑誌」の中で見た可能性が高いとは思いますが、記憶には残っていません。
私の住むところには「本の雑誌」を置いてある書店が少なかったという理由もありますが、時折買うという程度の興味でした。

北上次郎という名前は、名前より「文章」が先に印象に残りました。おかげで、似ているとも思えず、なぜ勘違いをしていたのかよくわからないのですが、池上冬樹という人の書評を読みかけて、これではない、この人ではない、と思ったことが何度かありました。なぜか北上次郎という名前を覚えるのにけっこうな時間がかかったのです。それというのも、どこか落ち着かない、医者かどこかの待合室に置いてある雑誌の、書評記事の筆者として最初に覚えたような気がするのです。本当に、気がする、という感じです。なにしろ、20年以上前の記憶ですから。とても確信はもてません。しかし、目黒考二と北上次郎が同一人物であるということはどこかで知りましたが、目黒考二のほうがペンネームであると思い込んでいました。

北上次郎という名前を、次に見出したのは、文庫本の解説でした。
今、書店の店頭で手に取った本の解説者に、北上次郎という名前を見つけたら、そのままその本を買うと思います(これから出版される本に彼の解説が載ることはありませんが)。
最近で、そうして買ったのは マーク・グリーニーの『暗殺者グレイマン』(新版)でした。本文を読み終わって解説を読み、大いに満足しました。彼の解説がなかったら、『暗殺者グレイマン』は私の視界から外れていたかもしれません。

なぜか北上次郎が著者の本は、私の書棚に一冊もありません。著書を読んだこともありません。探して読もうと思ったこともありません。

北上次郎とは、私にとって、時折顔を出してくれる、とても信頼できる目配りのきいた書評家です。
でも、目の前に著書があったら、読むだろうな~、と思います。

今回、『黒と誠』を読みながら、私にとっての目黒考二と北上次郎という二人の像がいまひとつ一致しません。何かが変わるのかどうか、この先が楽しみです。

*カミムラ 晋作 著『黒と誠 ~本の雑誌を創った男たち~ 2 』
 かみむら しんさく くろとまこと ほんのざっしをつくったおとこたち
 双葉社 2023/4/15