事件の隠蔽は、偽装に始まり、時に威嚇し、共謀による平穏の内に終わりました。

南優月(みなみ ゆづき)巡査部長は、昨年まで県警本部捜査一課の刑事でした。今は、傘見警部交番で、警務係として勤務しています。傘見警部交番は、人口減にともない、傘見署が縮小されて、甲池警察署の出先機関となったものです。警務係は、<署員や庁舎に関する雑用を担うという名目>(10頁)で配置されているようです。

その傘見警部交番に新たにやってきたのが、東大卒のキャリアである榎木孔泉(えのき こうせん)警視正です。県本部の地域部長という重職から、甲池警察署長補佐という聞いたこともないような役職で着任し、あろうことか優月が面倒を見ることになってしまいました。

優月から見ると榎木警視正は、行動も言動もなかなかユニークな人でした。
まず専用住宅への入居を拒み、交番3階の職員寮に住むと決めてしまいました。
警視正と優月、そして車を運転する久慈清美巡査部長の3人が移動中の車中で交わされた話があります。
<「職員同士が仲良くなるというのは良い一面もあるでしょうが、デメリットも常に

 意識しておくべきでしょうね」と孔泉が言葉を続けた。
  清美は仕方なく応える。「デメリットとはどういうことでしょう」
 「見えるべきものが見えなくなる」
 「はい?」優月と清美の声が重なった。 >(31-32頁)

警視正は、シャーロック ホームズ並の推理力を発揮し、クリーニング店の不正を一目で見抜きました。そして警視正は、優月の不用意な言葉に対して、遠慮会釈の無い言葉を投げかけます。

そんな日々の中で、優月は、捜査一課の時に被疑者を護送中、運転を誤り事故を起こしたことを思い出します。
< 不可抗力、といういい訳をもらって優月は処分を免れた。だが、処分してもらっ

 た方が、マシだったと思うほど、その後が辛(つら)かった。>(61頁)

事件は次々に起こります。
交番内で住民と不倫している警官がいるという噂が流れてきました。優月たち警務係は、その警官を探し出すように、というのが、忠津交番長の命令でした。
< 見つかって処分を受けたところで自業自得だろうと思うが、自身も事故の件では

 処分を免れている。優月がそういう負い目を持ち続けていることを知っての忠津の

 命だとすれば、大した狸オヤジだ。そう思っても、上からの命令は拒めない。>

 (68頁)
優月は、改めて負い目を自覚することになりました。

ひとつひとつの事件が解決されなくとも、新しい事件は起こります。殺人事件も暴行事件も起こります。
狭い田舎のことです。事件は錯綜しますが、何とか解決されます。

しかし、それだけでなく、これまで警視正が示唆してきた、優月が、被疑者を護送中に運転を誤り事故を起こした事件の状況が明らかになります。

優月が負い目だと思っていたことを改めてどのように考えるようになったのか。負い目とは何に対しての、誰に対しての負い目であったのか。
これまで負い目を感じていたということには、強い感情がともなっていたはずです。愛着があったものを否定するには、身を切るような思いをするでしょう。改めて考えようとするだけでも恐怖を感じるに違いありません。

結果として、優月は警視正の言葉を真正面にとらえて、隠蔽されたものを見出し、ひとつの決意を語ります。

設定にかなりの無理がある話です。しかし、たとえそう感じたとしても読む価値があると思います。

*松嶋 智左 著『流警 傘見警部交番事件ファイル』
 まつしま ちさ るけい かさみけいぶこうばんじけんふぁいる  
 集英社文庫 2023/7/30