※はからずも — 北村 薫著 『遠い唇』(1)
巻末の連作短篇「遠い唇」、「振り仰ぐ観音図」、「わらいかわせみに話すなよ」には、二つの興味深い点がありました。
一つは、三篇が、その部分部分が、非常に緊密に結ばれていることです。ふり返って、何度も何度も、前に後ろに行き来して、文を読み返すことになりました。
二つ目は、本来の、人の生き方を正面から問う内容と、ユーモラスな描写が絶妙に溶け合っているところです。もしユーモラスな描写を欠くとしたら、さぞや息苦しくなったでしょう。しかし、作者はそのようなことは考えていなかったと思います。少なくとも、書き継がれた二篇に漂うユーモアがなかったら、あの決定的な一句は、「わらいかわせみに話すなよ」の中に置かれることはなかった、と思っています。
瀬戸口まりえは、五十代で出版社に勤め、役職についています。寺脇先生は、リタイアが近い大学の先生で、売れ行き好調の経済学の入門書を書きました。
まりえは、ウォーキングコースにある池の近くで寺脇先生を見かけ、声をかけました。
先生は、少し離れた場所にいるカメラマンたちを、注意深く観察していました。まりえは、何の写真を撮っているのか気にしている先生に、撮影対象が翡翠(かわせみ)であることを伝えました。
先生は、まりえが俳句をやっていることを思い出し、尋ねます。
<「カワセミも季語でしょう?」
「ええ。夏の季語ですね」
「何か、いい句はありますか」
どきりとするはずの問いだった。しかし、心が波立たない。それを、
——不思議だ。
と思うまりえだった。 >(250頁)
まりえには、「いい句」の心当たりがあります。普通の時には、その句を挙げることにはためらうだろうということです。しかし、今回に限っては、その躊躇いがない、とまりえは感じています。
まりえの「いい句」は、まりえにとって、かけがえのないものです。崩れそうな自分を支えてくれたものです。その句によって、何ものかを感じる人でなければ、挙げることはできないものでした。
寺脇先生は、これまでどんな経験をしてきたか。まりえは、どんなことから、先生を、句に何ものかを感じる人である、と信じるに至ったか。「いい句」とはどんな句であったか。読み進めるうちに、これらが徐々に明らかになっていきます。
読後、この一句は、私にとっても、忘れられない句となりました。
*北村 薫著 『遠い唇 北村薫自選 日常の謎作品集』
きたむら かおる とおいくちびる
きたむらかおるじせん にちじょうのなぞさくひんしゅう
角川文庫 2023/9/25