江戸時代も半ばを過ぎた頃、火山の噴火、度重なる大火事があった。

鉄物問屋鍵屋助五郎は、ある相撲人の噂を聞く。

花相撲での話である。

《「もう見ているほうが恐ろしくなりますんで」

  ………… 中略 ………

「強い弱いなんて代物(しろもの)じゃござんせん。もう唖然とするばかりで、見物が皆しーんと真夜中になっちまう。もう相撲なんて悠長なものじゃありませんよ。あの鷲ヶ浜が土俵下ででんぐり返って肋骨(あばら)を痛め、九文龍なんぞは腰を打って仰向けになったまま立てないありさまで。取る前から九文龍は青ざめて縮み上がっておりました」》(12頁)

 

そんな話を聞きながら助五郎には思い当たることがあった。

江戸の大火事の焼け野原を歩いていた助五郎は、化け物じみた大男に出会った。

《輪を作っている町女房たちから胸より上が飛び出た化け物は、人語とは思えぬオウオウとくぐもった奇妙な声を発し、この焼け跡の寒空に大汗をかいて、赤子や稚児の病魔祓いをしているのがわかった。》(8頁)

気性の弱そうな大男が、焼け跡に立ち、いつまでも子どもを抱き上げては厄災祓いを繰り返すその光景は、助五郎に深い印象を残していた。噂の印象とどこかそぐわぬものを感じたが、化け物じみた大男が、話題の相撲人であることに間違いはなさそうだった。

 

そして助五郎のまえで江戸勧進大相撲が始まった。

目の前に繰り広げられたのは、見たこともない光景だった。

《草相撲ならいざ知らず幕内二段目の相撲人が突き上げられ軽々と宙を舞う様などこれまで見たこともなかった。》(28頁)

《雷電はいつものボーッとした馬面のまま、前頭八枚目に位置する幕内二段目時鐘を左からの張り手一閃、立ち会い様の一発で、土俵へのめりこむように打ち倒した。》(30頁)

《双手突(もろてづ)きで出水川(いずみがわ)を後ろ向きにはね飛ばし、二突き目で土俵下へ突き飛ばした。》(31頁)

《雷電は土俵際で踏みとどまり腰を据え、逆手のまま取られた右腕を、前に強くひいた。友千鳥の体が、雷電の右腕を中心にして宙で一回転し、放り投げられるように頭から土俵へ転げ落ちていった。》(32頁)

 

勝負の一番一番の動きが、克明に描かれて、眼前に勝負を見るようである。まさに無敵。ただ勝つだけではない。勝ち方が圧倒的であり、容赦がない。

ここまで、ただひたすら勝つ姿が描かれる作品というのは、他に記憶がない。読みながら、作中の観客のように、勝負にのめりこむ。掛値なしに、面白い、気分がよい。

 

階段を登るように強くなっていくことが、描かれているわけではない。すでに強さは圧倒的であり、雷電の強さというものがどのようなものであるか、が描かれている。

 

雷電の尋常でない強さがどこからきているのか。興味はそこに移る。

 

江戸相撲の年寄浦風林右衛門は、信州の草相撲で類まれな素質を持った若者、太郎吉を見つけ、門弟にすることを望んだ。とはいえ、その子は、農民の一人息子であった。信じられぬことに、父親は、貴重な働き手を失うことになるにも関わらず、即座に申し出を承諾した。林右衛門にはその理由が理解できなかった。

 

林右衛門の、信州での太郎吉との交わりはわずかなものでしかなかったが、その感受性の鋭さには、すぐに気づいた。

太郎吉は、既に、地震、噴火を、飢えを生き抜いてきた。一揆すらも間近に見てきた。

《この子がこの地にいては、むしろこの卓越した身体が、知力が、この子自身を滅ぼすことになる。》(160頁)

父親はそう考えていたのだ。林右衛門も同感だった。

《浦風林右衛門が太郎吉を江戸に呼び、自分はたとえどんな思いをしても、力を尽くしてこの者の持っているすべてを余すところなく吐き出させてやろう、そう胆(きも)を据えたのはその時だった。》(162頁)

 

林右衛門は、太郎吉を、指折りの実力者でありながら、腐敗しきった相撲の世界を深く憂える、ある相撲人の下に連れて行った。

 

相撲人は、太郎吉に稽古をつけた。そして深く魅了された。

《あの者は得体の知れない、底なしの力を感じさせた。長くせり出した顎と張り出したエラ、馬のような長い顔に眉も目じりも細く下がった呑気(のんき)な顔をし、一見はただ馬鹿大きいだけで人のいい百姓家の小悴(こせがれ)のように見えるが、圧力をかけ痛めつければつけるほど、その眠たげな顔の下から全く別の顔が立ち現れる。あの身体の奥底に小さな火種がかくれ潜んでいて、それに火がつくと、全身に燃え広がった業火が、相手を焼き尽くすか、己を滅ぼすかの選択を迫って、襲いかかってくる。もはや相撲などと呼べるものではなくなってしまう危険さえ秘めている。》(183頁)

 

相撲人は考える。

「拵(こしら)え相撲」が横行する世界で、真の勝負を挑めば、その腐敗しきった連中に袋叩きにされるのは目に見えている。そうさせないためには、最初の段階から、付け入る隙のない圧倒的な実力を備えていなければならない。総がかりで向かってくるものに対しても、逆にしらみつぶしに叩き潰すことができるほどの力量を備える必要がある。

太郎吉は四年の間消息を絶ち、現れた時には雲州松江藩に召し抱えられていた。

 

太郎吉には衆に抜きんでた相撲の力があった。その力が、浦風林右衛門の目を惹き、江戸に出る。そこには聡明な父の決断があった。

林右衛門の太郎吉への深い思いがなければ、十七年の時を経て、かの相撲人を訪ねることなど思いもしないことだった。相撲人にとっても、林右衛門への信頼なくして、門派の異なる者に、自らの胸を貸すなどありえないことだったろう。

 

太郎吉を支えてくれた多くの人がいた。それらの人の支えなくして、後日の腐敗した相撲を一蹴する太郎吉、雷電はありえなかった。それに間違いはない。では、太郎吉本人は、どうであったか。

 

信州で地震が度重なり、山焼けの溶岩流が村々を襲った頃、ある予言があった。

《「子(ね)の星の方角から、巨大坊(でえらんぼう)の生まれ変わりがやって来る。浅間の魔物をねじ伏せ、力足を踏めば地は鎮まる。」》(71頁)

こんな話から、《誰もが思い当たった一人の少年が、たしかにいた。》(72頁)

その一人の少年太郎吉が、前年、最強と言われる江戸相撲を相手に、五人掛(がか)りに勝ったのは、事実ではあった。しかし、小諸(こもろ)八幡の祭礼相撲の大関に選ばれても、《「ご名主様、出さえすればかまわねえのだか。」》(75頁)との言葉が返るような状態であった。

 

出先で、太郎吉は思わぬ場面に出会う。

《「タルキっつぁん、お山の魔物を投げとばし踏みつぶしてくれろ」

「タルキっつぁん、大関戦で勝てば、お山の火も地の震も静まるにちげえねえ」

 十にもならない子どもらが、まるであいつぐ労苦に年老いたもののように眉間にシワを集め、自分に懇願するはりつめた声を聞いた。

「ああ、おら負けるこたねえ。心配ねえぞ」

 上から降ってくる太郎吉の深い声を聞くと青白い顔の子らに赤みがさし、はじめてこわばった顔から黄ばんだ虫くい歯がのぞいた。》(79頁)

 

予言というものには、ほとんど根拠がない。であっても、人はそれでも信じたい。信じたいのである。多くの人が、藁にも縋る思いで信じている。それを間近に見ている幼い子どもたちが、親の心細さにさえも心を共振させて、懇願する。ほとんど祈りに近い。その期待に応えた己の言葉が、子どもたちに及ぼす力を、太郎吉は目の当たりにする。

 

時には、赤子を次々と受けとっては抱き上げ続ける。子どもにも大人にも、なけなしの食べ物を、大切にしていた宝物を差し出される。

《それらを手で制し、八の字眉に細い下がり目の一見茫洋(ぼうよう)とした表情で、目のふちの辺りだけをこわばらせ、太郎吉は何かに耐えているように立ちつくし、

「心配ねえずら。おら相撲に出る」

そう長くせり出した顎で何度も頷きながら言った。》(80頁)

その日の夜から稽古は変わった。

《太郎吉が下半身から突き上げる鉄砲を幹に打ちつけると、樹齢三百年の巨樹が梢をふるわせた。》(81頁)

《言われるとおりに脇をしめ、すり足で歩を運ぶ習練から始めた。》(81頁)

 

勝負当日、祭礼相撲が行われる相撲場への道に人々は集まってくる。

《人々の異常とも見える熱狂に、むしろ生気を帯び、顔を輝かせていちいち頷いている太郎吉の背を、他人のように半右衛門はながめていた。見慣れた悴の背格好に違いなかったが、自分の見知らぬ他人のようにも感じられてしかたがなかった。》(86頁)

太郎吉から、後の雷電へと通じる姿がそこに生まれていた。

 

「本紀」とは、主に中国の歴史で帝王一代の事跡を記したもの、とのことである。

この作品は、確かに相撲の世界の帝王、雷電の一代記である。相撲の世界はもちろん、彼を取り巻く人々を描きながら、当時の時代そのものが描かれている。

 

鉄物問屋鍵屋助五郎は、雷電のそれと比較するように、克明な生い立ちまで描かれる。番頭麻吉との掛け合いは気持ちがよい。使用人を交えてのやり取りが、商人の世界を垣間見せてくれる。助五郎の嫁取りの話など、悲喜こもごものエピソードもある。

助五郎の町人の目を通して現れる相撲人千田川には例えようのない魅力がある。松江藩お抱えの関取柏戸勘太夫他の面々も、雷電から受けた影響の話など人それぞれで面白い。

晩年の話は、幕府の政治に絡み、世相、権力争いの様子が窺われる。雷電本人はもちろん、周りの人々の生き方そのものが浮き彫りになる話である。