Monoといいます。高校の化学で習うギリシャ語のmono-、di-、tri- 等の接頭辞にちなんで付けました。

これから、ゆるい日記を書いていくつもりです。日々感じ、考えていることを、できるだけシンプルな形で伝えられたら、と思っています。

 

最近目にするニュースは、オリンピックの組織委員会会長のことばかりです。

オリンピックの精神である両性の平等を踏みにじるような会長の発言は許しがたい、というような話が聞こえてきました。それも外国の報道経由で、捨て置けない、となっただけのようでした。

それでも、会長辞任が決定的になったのは、中継する権利を持つテレビ局の抗議があったために、IOCの態度が豹変したからだとか。

 

テレビで、オリンピックの精神が、精神が、と突然言い出したように感じます。私は、男女平等が、オリンピック精神だと銘記されているとは、寡聞にして知りませんでした。

東京オリンピックのこれまでの経緯を見る限り、どこにオリンピックの精神が生かされてきたのか聞きたいぐらいです。

 

開催時期は、アメリカのメジャースポーツと重なる時期を外します。真夏しか空いているところはありません。熱すぎるので、マラソンの会場を変更します。次に、テレビ中継の時間を、つまり競技の開催時間を、アメリカの家庭のゴールデンタイムに合わせて設定します。開催国の深夜の時間帯となってもやむを得ません。これが、現時点の東京オリンピックの現状でしょう。

 

どこに、オリンピックの精神が、アスリートファーストとやらの精神があるのか。不可解です。ごり押しの精神のみがあります。現代風に言えば、パワーハラスメントの事実のみがあるのです。

 

そもそも現代のオリンピックは金がかかりすぎます。ロス五輪が、スポンサーまみれになった最初の大会でした。スポンサーが、受け取るものは名誉のみでよく、口は出さない、とあらば問題はないでしょうが、現実にそんなことはありえません。

 

ならば、オリンピックは何らかの意味で、財政的に引き合うまでに縮小するしかないでしょう。そのときに指針となるものこそ「オリンピックの精神」だと思います。そうでなければ、より巨大な興業に仕立て上げるしか道は残されていないでしょう。

 

オリンピックで思い出しましたが、恵本裕子原作、脚色・構成・作画が小林まことの『JJM女子柔道部物語』が面白いですよ。

 

主人公神楽えも が、世界柔道選手権大会一回戦で、11秒で一本負けし、その1年後にバルセロナ五輪で金メダルを取る、という予告で始まるマンガです。女子柔道の黎明期を描いていて、団体戦が無いなど、その時期の独特の雰囲気がわかります。

 

聞いたところでは、引退する予定だった小林まことが、恵本裕子の話を聞き、引退を取り消して、書き始めたものだそうです。何しろ書き手が、あの『What's Michael?』を書いた人ですから、間の取り方が絶妙です。抜群のストーリーテリングとも相まって、読みだすと止まりません。

 

読んでいて気がついたのですが、女子の黒帯には白線が入っていました。『ウィキペディア(Wikipedia)』で調べたところ、2018年になって初めて男子と同じ黒帯のみになったそうです。これにどんな意味があるんでしょうか。