先日、古本屋に行き、本を1冊買った。

大江健三郎賞・第1回の受賞作、長嶋有著『夕子ちゃんの近道』

 

大江健三郎賞は、大江健三郎作家生活50周年と、講談社創業100周年を記念して平成17年(2005年)に講談社主催で創設された。

対象は、大江健三郎が、可能性、成果をもっとも認めた「文学の作品」で、受賞作品は英語(或いはフランス語、ドイツ語)へ翻訳され、世界で刊行される。平成26年(2013年)に終了するまで8回続いた。

 

第4回、中村文則著『掏摸』。第6回、綿矢りさ著『かわいそうだね?』。第7回、本谷有希子著『嵐のピクニック』。第8回、岩城けい著『さよなら、オレンジ』は読んでいたが、それ以外は未読だった。

 

この3月3日が来ると、大江さんが逝ってから1年になる。偲ぶというほどの大江ファンではないが、この機会に、第1回の受賞作をゆっくりと読んでみたかった。

 

 

第1回は平成18年(2006年)。今から18年前の本。古本屋さんの棚に並んでいそうな気がした。そんなわけで、街から外れた古本屋さんに行ったのだ。

 

「あった!」1冊だけ。帯もちゃんとついている。まるで、さっき出版社から届いたばかりの新刊のように綺麗な本だ。購入し、帰宅してから思ったのだが、どうして自分は図書館で予約をして借りなかったのだろう?

 

その夜から読み始め、ゆっくりのつもりが1日で読み終わった。本の帯に、【古道具屋の二階に身一つで転がり込んだ「僕」。誰もが必要とする人生の一休みの時間。人生の春休みのような日々を描く、著者初めての、7つの連作短編集】とあった。

 

読んでよかった。いや、読むことができてよかった。借りずに買って、よかった。

手元に置けるから。あぁーそういうことだったのか!と思った。

 

 

「物は古びると磨きがかかるけど、人はナマモノだからねーー。」なんてセリフがあり、こんな文章もあった。

 

ーー寂しくなきゃやらないよあんなことって、言いきっていたなあ。自分が朝子さんたち若者ではなくて、年寄りの大家さんに、同じとはいわないが近い気持ちを抱いていることに、不意に気付いてしまう。

寂しいのかもしれない。だけど大家さんがいうように「可哀相」なわけではない。親が性悪じゃなくても、飛び回っていなくとも、寂しい人は最初からずっと寂しい。ーー

「寂しい人は最初からずっと寂しい。」そうだなと思う。18年前じゃなく、いま読めてよかったと思った。本も縁だと思う。

 

 

その日、冬枯れの公園で寂しくはなかった。

最初からずっと寂しい人にも、そういう日はある。