本を読むのに努力は要らない。
けれど、自分のなかに、
本一冊ぶんの無垢な空間は必要だ。
3月25日。
或るブロガーさんが1冊の本を紹介されていた。
内田 洋子 著 『ジーノの家』
以前、その方が紹介された本はどれもよかった。
図書館で検索をすると「貸出可能」となっている。
そのまま予約本リストに入れた。
すぐに借りなかったのは、
その時の自分に、
本1冊分の無垢な空間がなかったからだ。
2月の下旬からずっと、
無理に口角をあげる日が続いていた。
本は読んでいたが、
筋を追いかけるだけのような読み方はしたくなかった。
4~5日前、辛うじて口角は水平になった。
予約をし、翌日借りに行き、日曜に読了。
よかった。
しばらく本を読まなくともよいと思えるくらい、
よかった。
2011年2月15日発行の『ジーノの家』は、
10篇のエッセイからなる。
講談社エッセイ賞、
日本エッセイ・クラブ賞を受賞している。
著者の、イタリアでの体験が書かれているのだが、
読んでいて何度も「これは小説か?」と思った。
読み終わり、
本が紹介されていたブロガーさんの記事を再読する。
「まるで掌小説か 短篇映画のよう」と書かれていた。
記事の写真の本からたくさんの付箋が見えた。
その本はブロガーさんの持ち物。
自分のは図書館から借りてきたもの。
返却をすれば読んだことを忘れてしまうのか・・・。
いや、そんなことはないだろう。
映像として記憶の中に残っているのだから。
色々な事が溜まっていたのだろう、
本を読み終わって熱がでた。
可笑しい。
明日からまた頑張って生きなくては・・・と思う。
覗いて下さってありがとうございます。
都合によりコメント欄は閉じてあります。
穏やかな毎日でありますように。
<(_ _)>
『ジーノの家』あとがきより。
どの人にも、それぞれ苦労はある。自分の思うように、やりくりすればいい。
イタリアで暮らすうちに、常識や規則でひとくくりにできない、各人各様の生活術を見る。
行き詰まると、散歩に出かける。公営プールに行く。中央駅のホームに座ってみる。書店へ行く。山に登る。市場を回る。行先々で、隣り合う人の様子をそっと見る。じっと観る。ときどき、バールで漏れ聴こえる話をそれとなく聞く。たくさんの声や素振りはイタリアをかたどるモザイクである。生活便利帳を繰るようであり、秀逸な短編映画の数々を鑑賞するようでもある。
名も無い人たちの日常は、どこにも紹介されることもない。無数のふつうの生活に、イタリアの真の魅力がある。飄々と暮す、ふつうのイタリアの人たちがいる。引き出しの奥を覗いては、もっとコレクションを増やしたい、と思う。
二〇一一年一月 ミラノにて 内田洋子