伊達政宗の次女、牟宇姫(むうひめ)の雛人形を見に行った。
 
牟宇姫は、伊達政宗公42歳のときの子。
人生50年の時代、42歳でもうけた娘は、
さぞや愛おしかったことだろう。
 
その牟宇姫が12歳で嫁ぐとき持たせたという雛人形。
400年の時間(とき)と、
親の心を想う。
 
 
角田市郷土資料館 (旧氏丈邸)
 
 
お雛様の高さは45cm。
角田城から移築されたという座敷が狭く感じられた。
 
着物の黒は藍の重ね染め、
豪華絢爛の雲竜紋は平金糸、赤は紅花染め。
刺繍ではなく、特別に織らせたものだそう。
 

雛人形は11年前の東日本大震災当日も展示されていた。

女雛さまは、重ねた着物で安定し倒れることは無く、

男雛さまは、この足の組み方が幸いして後ろに倒れ、

傷ひとつ つかなかったそうだ。

 
 
雛人形と共に伝わる金梨地蒔絵の雛道具。
本膳、二の膳、三の膳まである。
 

お道具には伊達家の家紋「雪薄紋(ゆきすすきもん)」が配されている。

 

 

 

 

 

 

雛人形を介し、

400年前を生きたひとと話をした。

 

 

政宗公から牟宇姫への手紙。

寛永8年(1631)7月28日付。

政宗65歳、牟宇姫24歳のとき。

 

手紙の内容。(拡大して読めます)

 

令和4年2月24日、宮城県角田市、

角田市郷土郷土資料館 「旧氏丈邸(きゅううじじょうてい)」にて📸

 

 

 

昨年のことになりますが、歴史に詳しい方のブログで、

伊達政宗は酒癖が悪かった(酒乱)と書かれていました。

それも二度にわたってです。(笑)

 

仙台の人間ですが、そのことは知りませんでした。

意外とは思いましたが、不快には思いませんでした。

自分は呑んべいで、

酒のうえでの失敗は数限りがないからかもしれません。(笑)

 

その記事を読んだとき、書物の中の漢字の人間が、

体温を持ったように思いました。

 

往復100kmの道を運転し、

牟宇姫のお雛様を見に行ったのは、

そのこともあったからです。

 

 

 

色々な意味で、

お雛様を飾り続けることのできる世の中でありますように。

<(_ _)>