新しい環境で | a memorandum

a memorandum

私の備忘録。
忘れてしまう,その前に。

新しい環境の中で、思えば1年、お客さんとして無理をし続けた。
馴染んでいけない自分のことを無意識に意識的に責め続けていた。
コミュニケーション力がないから、不安緊張が高いから、人馴染みが悪いから。
でも、場に馴染むことは、入っていく人にだけ責任があるのではなく、受け入れる方との共同作業だったと思う。
馴染ませてくれない!って怒ったってよかったんだなって今なら思う。
してくれなかったことへ怒るでもなく、そういう風に考えてもよかったなって穏やかに思う。私だけが悪いんじゃない。こんな風に上手くいかない時もあるよねって肩の荷を下ろして自分を許せる気がする。
人一倍色んなことを感じて苦しんで泣いて、背景を背負って。それはどんなに財産になると言われても、そんなきれいにできる未来は見えなくて、負の財産にしかなり得ないと思っていた。

でも、自分が感じて嫌だったこと辛かったことは人にはしないようにする、それが職業としてどれだけ大切なことかわかっていて、しないように気をつけられるポイントを多く持ってることは私の強みなんだなぁと思う。

辛かったり泣いちゃう自分を嫌だと否定するのではなく、そんなことも全部学びにしてしまえばいい。こんなことが私を人を辛くさせるのね、って覚えておけばいい。
誰かが傷つくその想いを感覚的に理解出来る確率が高い、それは相手と繋がれる可能性にもなる。
私は虐待の辛さを知っている。
親のどんな関わりが子どもを辛くさせるか、少なくとも自分が経験したことは知っている。
その後、長くにわたってずっと影響し続けることを知っている。
自分という存在への不信感、周囲への漫然とした不信。
影響され続ける自分への苛立ちを知っている。
仲間間の微妙なズレてる感じも、微かな疎外感も知っている。それで傷つくことも知っている。
リストカットの高揚感、依存感、孤独感も知っている。
色んなことを「私」は経験してきた。
それは対人援助職に進むことへのマイナスではなく、自分でコントロールを持てる限り財産だ。足枷ではなく武器にしたい。

私はこんな経験全部に捕まって絡めとられて立ち尽くしてるのではない。
助けを求められなかった昔とは全然違って、今の私は最後の最後で人を信じて、助けを求めることができる。自分を崖のふちに追いやるのではなく、救いあげられる。
昔を繰り返してるのではなく、ちゃんと過去のパターンを変えることができてる。
それは、私が大人になったり、新しく色んな人と出会って関わった結果なんだと思う。

どんなどん底の気持ちになっても、私はもう昔ほどの最低にはならない。辛くても、昔よりはどこか最低にはならない、と思っている。