誰かの想いに守られるということ。 | a memorandum

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私の備忘録。
忘れてしまう,その前に。

ちょっとした偶然である施設に見学で行ってきた。
自分のこと、うわっと思い出して辛くなるかなって思ったけどそんなことなかった。もっと暖かい思いが生まれた。

ここ最近は、親のせいでいつまでもこんなに苦しむようになった、誰とも繋がれなくなった、私の夢にまで影響がある、って親に向けたいけど向けられない行き場を失った怒りがあった。

それがもっと強くなると思ってた。
でも実際は違った。
そうか、あの時たしかに自分の人生を揺るがすような目に遭ってしまったけど、あの施設と繋がっていたということは、私を助けようと必死になってくれた誰かがいたんだ、ということに気がついた。
あの時、必死になってくれた人がいたからこそ今の私は苦しい思いはしても生きていけてるんだ。
あの時受けたセラピーの内容や体験はほとんど記憶にない。どんな風に大切にされて、どんな風に見守られたのかはわからない。だけどきっと、今の私が思うように、小さな私はその人たちに「どうか健やかに育って」と願われたはずだ。そんな誰かの想いで私は大切にされたのだ。
母も、途中で中断せずにきちんと卒業とされるまで私を連れていってくれた。

自分の幼少期はたしかに過酷だったものもあったかもしれない。でもそれでも、いろんな人の想いに大切に守られてきたところもあるんだって思うことができた。

私の回復はまっすぐにはいかないのだと思う。
こんなにあったかい思いを感じても、帰る頃にはまた死にたくなってるかもしれない。
でも、少しずつあたたかい見方を集めていけばいつか大丈夫になるって思いたい。