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さくらんぼ*ブログ

何とかしよう!

全国高校総合文化祭で福島の高校生が演じた創作劇の言葉を野田首相は所信表明で引用した。「福島に生まれて、福島で育って、福島で働く。福島で結婚して、福島で子どもを産んで、福島で子どもを育てる。福島で孫を見て、福島でひ孫を育て、福島で最期を過ごす。それが私の夢なのです」


 野田首相はこの言葉には、「明日に向かって一歩を踏み出す力強さがあふれてい」るとして、「こうした若い情熱の中に、被災地と福島の復興を確信できる」と。

 

 はたしてそうか。創作劇の一部だから全体の文脈に置けば意味するものも違ってくるだろう。しかし、この文章からは力強さや若い情熱を感じることはできない。


 福島に生まれた者が、結婚して子供を産み、ひ孫の顔を見て生を終えることは平凡なあまりにありふれた人生である。それを「夢」と呼ぶほかない気持ちを考えると、言葉もないぐらいの失意に落とされる。

 

 欲張りでもなければ、高望みでもなく、前途洋々たるなどとは程遠い若者の夢にしてはあまりに寂しいものだ。夢という言葉には、ありふれた人生をおくることを絶たれてしまった福島の子どもたちの深い悲しみ、悲痛な訴えを感じるのだ。


 もちろん、福島第一原発大事故と取り返しのつかない広範で大量の放射性物質の汚染が福島県土を覆っていることが原因である。地震と津波だけならば、こうも悲痛な叫びにはなるまい。


 何万人もが県外に避難し子供たちが疎開している。やむなく福島に残っていても、日々外部被曝や水や食物からの内部被曝を受けている。安全だ、健康へのリスクは少ないと専門家が国際会議で提言しても、信頼は誠に低い。小さくても確かな情報があるし、熱意ある医師や学者が一刻も早くと懸命に除染する姿を見ているからだ。

  

 福島から離れれば離れるほど、国民はフクシマの原発事故が収束しつつあると思っているだろう。現に総理が「国の責任で大規模な除染に全力で取り組む」というのだから。


 だが、実際除染や賠償は30㎞と何らの根拠もない同心円の線引きの内部等に限られる。実情は50㎞でもかなり高い線量で、低線量の内部被曝にさらされている県民の数の方が多い。


 県民が、議会が、福島のNHKテレビでさえ国が主体になって除染を行うべきと提案しても、霞が関の官僚と政治家は応えようともしない。町内会やPTAがささやかな除染を行い、集めた高い放射性物質を地域に置いて二重、三重の被曝をするという残酷な事態が進んでいる。


 避難も除染もすべてに莫大な金がかかる。国には金がない、だから我慢しろということなのだ。つまり、世界でも豊かな日本という先進国で世界で初めて難民を発生させ、救うこともできないのだ。わずか200万人ぐらいというわけか。


 食物についても驚くほど基準を高いベクレルに設定して、安全だという。良心的な心ある学者は10ベクレルが基準だろう、しかもフクシマは外部被曝がかなりあるから0に近くといっている。(武田邦彦)政府の方針よりこちらを多くの国民は信じて、少しでも汚染された食物を避ける行動をとっている。食物の検査と基準も、除染も方法と技術はあるのだから、全力で政治が取り組むべきだと児玉龍彦氏は言う。


 一方、学会主流や山下俊一副学長は破綻している100mSv閾値論で安全だと真顔で言う。この理論があるために、官僚はこの理論を根拠に食物の安全確保や除染の推進を進めないのだろう。どちらも同じ穴のムジナ、それも実に冷酷な非人間的な対応というほかはない。


 「住民が戻る気になるのは、行政なりが一生懸命測定して、除染をしている地域です」(児玉龍彦)何もしないでおいて安全だといっても誰も信頼しない。ここは野田首相が先頭に立って、莫大な予算をつけて、事故を引き起こして対応が誠にまずかった東電とともに、3月11日以前の環境に、汚染のなかった福島に戻す努力をすべき時である。それこそ莫大な外貨を米国に貢ぐのではなく、国民の命を救うために使うときである。

 

 「国民の生活が第一を掲げて政権交代を果たした民主党が信頼を回復する道である。


 その暁には、高校生の悲痛な叫びであった「夢」が本当の意味での希望にみえてくるはずだ。

 鉢呂経産省の辞任について、就任前から国会議員として福島に入り被災地のために最も働いた、とか、就任後にエネルギー政策の検討会議に反対の立場の人を入れる、TPPに消極的と言ったものだから、国民からはある程度の期待があった。


 菅政府があまりにひどかったものだから、性懲りもなくついつい期待してしまったのだろう。だから、総理の公式的な福島県民の心を傷つけたという謝罪とは大分違った見方を多くが持ったようだ。記者クラブメディアとの大きな懸隔である。


 メディアは認めたくないだろうが、記者クラブメディアへの不信はかなり大きい。原子力ムラを支えた東大の学者やIEAEなどの国際組織、その下請けの100mSvを真顔で言う教授等へ不信感は大きくなるばかりだ。無批判に報道してきた記者クラブメディアも同罪というわけだ。


 世論調査と称するもので、記者クラブメディアは世論などいくらでも作り出せると自信をもっているだろう。質問を恣意的に作り、若者の答えが少ないからと結果を操作しているという。


 政権交代となった選挙ではうまくはいかなかったが、菅総理と小沢氏の戦いで菅総理を勝たせることができたことで成功体験を持っているはずだ。いずれにしても、国民世論など簡単に作り出せる。そのはずである、質の低いテレビと新聞の情報しか大部分は持てないのだから、国民は簡単に洗脳されるはずだ。鸚鵡返しである。


 さて、後任に枝野氏がつくと、経団連がべたほめし、新聞などはエネルギー政策検討会議のメンバーは鉢呂氏の考えとは違うとうれしそうに書いた。となると、鉢呂氏が気に入らなかった人たちが、協力して鉢呂氏を追い落としたと考えねばなるまい。


 一記者の匿名のオフレコ談話の暴露で、しかも真偽が定かでない記事がテレビニュースになり、あっさりと総理が辞表を受け取った。まず、言ったかどうか水掛け論のようなささいな話で、重要閣僚の首がとれたのだからさぞや自分たちの力を実感したろう。記者クラブメディアの幹部は反小沢で党内融和が大分お嫌いのようだった。


 記者クラブの問題もあろう。また陰に経産省がいるかもしれない。さらに民主党の仲間に後ろからねらわれたなども考えられる。長く政権を維持した自民党も関係があろう。つまるところ、大資本と官僚が主役で政治家とメディアが使い走りをしている利権構造は変わらないことだ。さらに、TPPには郵政民営化と同じアメリカの影も指摘されている。


 野田総理は事実確認にさほどの時間をかけたとも思えないのに、さっさと枝野氏を後任に決めたものだ。まるで、待っていたかのように枝野氏は就任会見をした。


 しかし、福島原発の大事故で菅総理、枝野官房長官らの情報の隠蔽や不正直な情報の流し方など、枝野氏へのフクシマの不信は根深いものがある。今後の内閣が心配である。


 これしきのことで、重要閣僚がやめなければならない状況を、同じヤメ検の腐った連中のなかでは良識である郷原信郎氏はもはや末期症状を超えて、脳死状態といった。


 たとえ官僚やメディアが質が低いと考えたとしても、少なくとも国民に選ばれた国会議員である。官僚とメディアの記者たちは国民に選ばれたわけでもなく、しかも匿名で責任もとったことさえないのだ。


 福島県民を傷つけたと建前だけを声高にいうのはあまりに下品で恥ずかしく思わないのか。政治、国家、人間の生活を論じるのに小学校の学級会以下の屁理屈がまかり通る状況が誠に嘆かわしい。記者たちでさえ信じていない建前は、国民の低いレベルに合わせただけだなどと嘯くのだろうか。


 すぐに衆議院解散、小沢新党、大連立などをいうのは民主党政権がよほどお嫌いなのだろう。 政治家に任期いっぱい粘り強く仕事をさせるのが国民の、メディアの務めであろう。 クリックするように変えるなど言語道断である。


  政局ではなく一日も早い復興をだのと批判しながら、マスメディアはただの一度でも実りある政策の提案や議論をしたことがあろうか。久しくみていない。最近の流行は「政治とカネ」だが、抽象的であまりにも概念が広すぎてさっぱり何を意味するかが不明だ。それで攻撃したつもりになってちっぽけなあらさがしに終始しているではないか。しかも、自分たちの御仲間には徹頭徹尾甘いダブルスタンダードもはなはだしいのだ。


 何よりも気に入らないのは、仲間の政権と官僚が流す政策を何らの本質的批判もなく垂れ流しているだけだという点だ。情けないことにオフレコの情報だけはくださいなんてお願いするさまは胸糞悪い。


 我が国の政策の根本に据えるべきは、世論操作ではなく官僚の隠したい情報や墨塗り東電の資料も明らかにさせ、本当の民主主義を作っていくことであり、本物の自由と平等を希求する政策を提案することだ。しっかり憲法を勉強して血肉化する必要があろう。