ビール15年戦争/永井隆 | もん・りいぶる21(21世紀のレビュー三昧)

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2002年 日本経済新聞社(日経ビジネス人文庫)


今朝あたりの報道では、ビール市場では発泡酒を抜いて第3のビールの出荷量のほうが多くなったと書かれていた。
琥珀色して泡の立つ液体、という意味ではどれも同じ。
酔ってしまえばホッピーまで含めて同じ。
と一言には切り捨てられない悲喜こもごもを飲ん平は誰しも感じているはずで、第3のビールが売れている背景は味よりも税額だ。

税法の抜け道とそれでも「ビール系」にこだわる飲ん平の喉を潤すための商品開発に精進し続けるビールメーカーの動きはそれはそれで面白いのだが、実際にはその前段階でビール業界に生まれていた大革命があったおかげで、飲ん平が財布の厚さ加減でいろいろ選べる仕組みになっているわけで、その辺りを知っておくと、酒飲み話の内容のほうには「重厚さと芳醇さ」が加わることだろう。

ビールは大衆的な飲み物となったのは、実は相当最近の話である。
大瓶のビールがドンと食卓にあって、テレビの正面に陣取ったオヤジが晩酌にそれを一本飲む。テレビに映っているのは必ず野球でおかずはコロッケが毎晩続く。ビールは酒屋の冷蔵庫で冷やされたものが届けられるものだった。

というのが日本の一般家庭のビールの原風景だった。それ以前は飲食店で飲むものだったのだ。
というあたりで実はビールメーカーのシェアは大きく遷移していて本書はそうした遷移がいったん落ち着いたキリンビールの天下だった頃をスタートラインに書かれている。
なので、実際にキリンビールがずっと首位を走っていたわけではなく、一般家庭に冷蔵庫とテレビが普及してからキリンの時代、言い換えれば家長の家での地位の象徴キリンビールの時代だったということだ。
そこに今にも身売りしそうな状態のアサヒが起死回生の「スーパードライ」を放って今の首位争いに至ったのだが、少々そのあたりの話は抑え気味なのが本書に対する不満ではある。

さてと、ビールの話は実はなかなか酒席では深まらない。
理由は簡単で案外ビールのことを詳しく知っている人は少ない。
おそらく薀蓄に関して言えば、ワインのような専門家も居らず、日本酒や焼酎のような老舗の造り酒屋もない、ウィスキーのように長々と薀蓄広告も打たないといった具合で、実際には情報があまりないのだ。
ひところ大量に流されていたテレビCMにしても「コク」やら「キレ」やら「香り」などの定量情報に欠ける表現だけで、じっくり語り合える薀蓄はビールメーカーの社員でも同席しない限り耳に出来ない寸法なのだ。
いいかえれば、そうした話とビールが合わないということか。
そう考えると、この理屈は抜きで気合営業で売りつくした伝説の営業マンエピソード満載の本書は、まさにビール戦争の本質を表しているといえるだろう。

本書の15年戦争の後の世が現代だが、後半部分に書かれている内容はまさに今の第3のビール時代を予言している。
ましてはこれほどの不況が一気に来て、しかも「税率」に庶民が神経質になっている時代に、第3のビールの今後を占うための情報が満載だという点では本書は面白い。
もう少しマーケティング戦略的なものが欲しかったところだが、よくよく考えたらビールほど新製品が生まれては消えるバブリーな業界もなく、マーケティングそのものを憂いた結果削られたとだとしたら、それは正解なのかもしれない。

たまには「ラガー」にしようか「ドライ」にするか、はたまた「モルツ」か「黒ラベル」かと、悩みたいものだと思いながら、第3のビールの並ぶ冷蔵庫を憂いてしまった。