1998年 幻冬舎(幻冬舎文庫)
村上龍はデビュー当初からセンセーショナルな内容の小説をエキセントリックな雰囲気の風貌で発表してきた。
そのスタイルは、村上一流の照れも衒いも見せないクールさの中でうまく消化され続けて今に至り、チョイ悪オヤジではとても太刀打ちできない毒の香りを漂わせて「村上龍」というブランドを確立させている。
本書などは、ある意味で「ブランドは神話を裏切れない」ことを証明した作品であろう。
軽いノリの二十歳そこそこの主人公が外国人観光客を相手に日本の風俗店を案内するという設定は、ウズウズと血が滾りつつもその血の流れる先が見当たらないまま悶々とするこの年代特有の「焦り」「軋み」「うろたえ」を見事に表現してくれているのだが、それを主人公の座に居座らせない仕掛けが、これまた「村上ブランド」作品の真骨頂として現れてくる。
人であって人でない、ある意味超人というべき外国人のフランクを案内するところから主人公ケンジの空中浮遊のような日々が始まる。
まさに地に足の付かない領域を餌場とするケンジをさらに浮遊させてしまうフランクの底知れないドス暗さには、理由の明確にならない暴力という人間の根源部分が横たわっていて、描写はグロテスクなのについ読み進めてしまう最大の要素になるのだろう。
繰り返される暴力。
その背後にある不条理。
不条理だから理由なんてなくて、血を見るために血を流させることの繰り返ししかそこにはない。
それなのに、人間を読んでいるという満足感はしっかりと残る。
そして、タイトルの謎掛け。
成田空港は味噌の匂いで充満している。
海外からの来航者はそう感じるらしい。
ふと、そんなことを思ってしまった。