そして、いよいよプノンペンに帰ってきた私たち。
4日ぶりくらいのプノンペンはとても都会に感じられた。

最終日ということもあり、市場でがっつり観光客になって買い物をした。
カンボジア人との値引き交渉にはなかなか手こずった。

けんとオダーチーはブッティーとおそろいの帽子を買っていたが、
ブッティーの2倍くらいの値段で売られていた。

「私がいなきゃだめね」
と、ブッティーに一蹴されてしまった。

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個人的なことだけど、
私とうさは市場にいる間、かなりトイレに行きたかった。
やっとの思いで、トイレに行くことが出来るようになったのだが、
なんとトイレにはお金がかかるし、紙もなかった。
困ってうろうろしていると、ブッティーがすぐに市場の店でティッシュを買って持ってきてくれた。
私はその気持ちがすごく嬉しくて、何度も何度もお礼を言った。

「お金をもらうことよりお客さんが楽しんでくれることが一番」

というブッティーの言葉を思い出した。
その言葉どおり、本当にこのたびの間中、ブッティーは、私たちが居心地の良くなるように
いつも考えてくれていたと思う。

買い物が終わって、夕飯の時間まではまだ少しあったので、
ブッティーとメコン川沿いを散歩することになった。
次の日が「水祭り」ということで、川沿いは出店でにぎわっていたから、
ブッティーが連れて行ってくれたのだ。

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メコン川の散歩は、とても雰囲気がよくていろんな店もあって、楽しかった。
今のカンボジアの力がすごくみなぎっている感じがした。
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決してきれいではないし、雑然としている。
車も道にびっしりだし、クラクションや排気ガスがすごい。
それでも、私はこのカンボジアの熱気が好きだ。
カンボジアの人が聞いたらどう思うかわからないけど、雑草魂という言葉がすごく似合う風景だと思う。


これからこの町は、そしてカンボジアはどうなっていくんだろう。
そして私たちは、この国とどう向き合っていくんだろう。

雑踏にもまれ、必死でブッティーの背中を追いながらそんなことを考えた。


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そして、散歩を終えた後、いよいよ念願の焼肉に行くことになった!


当初の予定では、メコン川のクルージングだったのだが、翌日に水祭りを控えているため、
クルージングは中止になったのだ。

私たち4人は、色気のないことにこのクルージングが焼肉になってくれて、本当に喜んだ。

カンボジアの焼肉は、本当においしい。


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お肉は日本より肉厚で、
味付けは胡椒とか単純なものだけど、食べ応えがあって、ビールが進む。

ブッティーやドライバーのリアップと過ごす最後の時間だったので、
私は、後にくるお別れのことを考えないよう、必死でそのときを楽しんだ。

途中で、NCTの社長ソポワスさんが来てくれた。
ソポワスさんは、日本でゆうITベンチャーの社長的な雰囲気があった。
私たちが今まで出会ってきたカンボジアの人とは一味違う、
どこかイケイケのにおいがする人だ。
それでも話をしてみると、とてもいい人で、
「わさびの話」など
ソポワスさんのすべらない話などで盛り上がった。

それでも、楽しい時間には必ず終わりが来てしまう。
私たちの飛行機の時間が近づいていたので、帰らなくてはならなかった。

最後にみんなで写真をとって、焼肉レストランを後にした。


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空港に向かう車中、ブッティーがソポワスさんとの昔話とかをいつもの調子で話していたけど、
私は、ブッティーとのお別れのことに気がいってしまい、
泣かないように堪えるのに必死で、あまりちゃんと話は聞いていなかった。

空港までは、あっとゆうまだった。

6日間、ずっと一緒だったブッティーと、リアップとの最後のお別れ。
最大限の敬意と、最大限の感謝の気持ちを伝えたかったけど、涙があふれて
「ありがとう、ありがとう」というのが精一杯だった。


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小さな国、カンボジアで出会った大きすぎるほど大きな二人。


願わくば、二人の生きるカンボジアが笑顔で溢れる素敵な未来を迎えるように。

願わくば、大好きな二人が、そして大好きな二人の好きな人たちが幸せになるように。

そんなことを思いながら、私たちは空港へと旅立った。



おわり


余談だが、この感動的なお別れのあと、飛行機の搭乗に遅れ、
我らが代表中村健介は
航空会社の人にトイレまで捜索にこられていた。。。

おーくん。

どうもどうも!
またまた回ってきましたたにです。
長きに渡ってお届けしましたカンボジア遠征もクライマックスに近づきあります。
今日は、私がカンボジア滞在最終日について書きたいと思います!!

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この日は、プノンペンに戻るため、朝早くにバッタンバンを出発。

途中で寄り道して「コンポンチュナン」という小さな田舎町に立ち寄った。

コンポンというのは「港町」で、チュナンというのが「土で作った焼き物」という意味だそう。
その名前のとおり、この村ではあらゆるところで、みんなが土器を作っていた。


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それにしてもこのたびの間中、私たちは何度ブッディーさんに「コンポン」の意味を聞いただろう。
そのたび、いやな顔をせずにいつもきちんと教えてくれたブッディーさん、
オークン。

この村のなべ作りの技術はとてもレベルが高く、かわいい製品から立派なものまでいろいろあった。
なんだか、カンボジアにはこうやっていろいろな力が眠っている気がする。
みんながもっともっと輝ける国になったらいいのになぁ。

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写真の彼は、中川家の弟にそっくりの鍋つくり職人。
彼の家族は、日本に鍋の作り方を教えにきていたこともあるそうで、日本語の挨拶をしてくれた。
「こんにちは」とか、まさかこんなところで日本語を聞くことになるとは。

この村は、ウルルンにでも出てきそうな、本当にのほほんとした田舎の村で、
私たちが調子にのって「チョムリアップソー(こんにちは)」と言うと、いろんな家の人が
「チョムリアップソー」と返してくれた。

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中には、昼からお酒を飲んでる人もいて、私たちも「飲んでみるかい?」と飲まされたけど、
とても飲めるものじゃなかった。冷やし中華の残り汁みたいな味で、
カンボジアに来て初めて「うっ」ってなった。
まだまだ、おくが深い、カンボジア。。。

そんなのどかな村と、のどかな人々に癒され、
次はトンレサップ湖を見て、お昼を食べた。

ブッティーさんは、私たち好みの料理を注文してくれておいしく食事することが出来た。
今までで一番、ここのレストランにはハエがいっぱいいて、
飲み物とか、料理にハエがくっつくなんてこともよくあった。
日本だったら、虫がついたら間違いなく食べる気をなくしているだろうけど、
カンボジアに6日も滞在している私たちにとって、ハエはもはやなんの問題でもなかった。

お昼を食べた後は、プノンペンへと向かった。
プノンペンに向かう途中で、ガイドのブッティーさんの実家にあいさつに行くことになった。
ブッティーさんと、すごく親密に慣れたような気がして嬉しかった。

ブッティーさんは、ポルポトの時代にお父さんと妹を亡くし、
お母さんが女手一つで、ブッティーさんを学校に行かせ、立派に育てたらしい。
ブッティーもすごい人だけど、お母さんももっとすごい。

ブッティーさんの実家は、カンボジアのごく普通の田舎の家で、
高床式の家だった。

着くと、ブッティーさんのおじさんとおばさん、
そして小さな子供(おじさんおばさんの孫)が出迎えてくれた。

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ブッティーさんの家族はみんな暖かい人で、
日本からやってきた私たちのために、バナナをいっぱいくれた。
なんだかブッティーさんの家族の暖かさがこもっているようで、
このとき食べたバナナの味は、本当に格別だったと思う。


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私はブッティーさんのおばさんと話をした。もちろん、クメール語は良く分からないから、
顔とか、そうゆうとこでしかコミュニケーションはとれなかったけど、
「ソックサバーイ(元気でね)」と何度も言ってくれたのは分かった。
私の手を握る、彼女の手がとても強くて、そしてとても暖かくて
涙が出そうになった。

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そして、ぶってィーさんの家を後にし、一路プノンペンへ。

プノンペンに向かう車中では、爆睡していた。

ふと目を覚ますと、ブッティーがいつもは流暢なはずなのになぜかとてもカタコトで、
カンボジアの国旗について説明していた。
「マンナカハ~、シュウキョウヲ~、アラワシテイルンデスネ~」


「???さすがのブッティーも、6日目だからさすがに疲れたのかな・・・?」

と、きょとんとしていると、
ブッティーが笑った。

どうやら、シェムリアップでのガイド、トムの真似をしていたようだ。
もはやこの頃には、ブッティーも率先してトムをいじるようになっていた。
孤児院訪問を終え食事をとって次は地雷被害者が治療しているというエマージェンシー病院を訪問。


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カンボジアは内戦時に埋められたたくさんの地雷によってたくさんの人が被害にあっているという情報があった。

そんな地雷という問題を知りたいと思って訪問することにしました。


僕らがいるバッタンバンという街はポルポト率いるクメール・ルージュが最後まで内戦を続けた地。

そのためたくさんの地雷が残されているということだ。


施設を案内してくれたのはニコラさんというスイス人医師。


しかし、話を聞いていると地雷被害というものは年々減ってきているそうだ。


この病院も当初は地雷被害者のためにという目的で運営されていたが現在ではほとんどが交通事故の患者ばかりだという。


実際に病院内を見ていても足がない、手がない人はあまり見かけなかった。



ニコラさんの話によればこの病院に年間で来る新たな地雷被害者の数(通院患者を除く)は20人くらいと、過去の数字を聞いていても明らかに減少傾向だった。

現場で働いているニコラさんもあまり大きな問題ではなくなってきているというお話だった。



個人的にはもっとたくさんの被害者がいる「野戦病院」のようなものをイメージしていたからそれとは違ってほっとしたし、本当に語弊はあるでしょうが拍子抜けした。


とはいえ、日本でNGOや色んな人々が伝える情報やイメージというのは必ずしも現実と同じではないということを知った。




次に行くのはHIV患者が治療する病院。

安田菜津紀さんの講演会や色んなところで聞くけれど、カンボジアのエイズ感染率は0.8%とかなり高い。

(アジアで2番目に悪い)

その数字の背景にある貧困問題や人身売買問題について知りたくて訪問させたもらった。

できれば、患者の方に詳しいお話を聞かせてもらえたらと思っていた。


HIVの医局長がいらっしゃってカンボジアにおけるHIV感染についての歴史的な経緯を話してもらった。

全部英語だったから理解度はまあまあくらいだったけどたくさんの現地NGO、国内活動の甲斐もあってこちらも改善傾向であるという。また、HIVがしっかり薬を時間通りに投与し続けることができれば普通の生活が続けられるということを言っていた。


驚いたのは、エイズが1993年からの国連のPKOの軍人によってもたらされたということ。

ブッティーさんも言っていたけどその軍が来るまでカンボジアはHIVとは無縁だったらしい。



続いて施設を案内させていただくことに。

今日はHIV感染者の方々はお祭りに行っているとのことでほとんど出払っていた。


しかし、行かなかった方と少しだけお話させていただけた。



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彼は軍隊の教官で最近発症したという。

彼の病状を英語ではなく、クメール語で話していた医師。


説明の内容は「HIVに感染してしまったけど、現在は至って元気だし、これからも薬を時間通り投与し続ければ大丈夫」ということだった。


僕らへの説明と共に、患者を勇気付けているようにも感じられた。


色んな質問をさせてもらったけど、やっぱり人の話したくないことを聞くのって辛い気持ちになる。

これが日本人にだったら聞けるわけない。

なのにカンボジアの人だからって聞けるのはなんかおかしい気がしていた。


そんな違和感を抱えながらも行きの飛行機の中で心に決めていた

「なんでも聞きたいことは聞く」

という誓いを盲目的に遂行した。



気持ちはなんとなくどんよりしたままだったけど今日の旅程を終えることができた。


今日は最後の宿泊ということでブッティーさんとリアップさんと一緒に食事した。


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ブッティーさんがついに俺と小笠原君がパクチー無理ということに気づいてくれた。
だから店の人に指示をだしてパクチー抜きになったため少しクメール料理を楽しめるようになってきた。

今日は最後の宿泊だったから大いにみんなでしゃべった。
トムさんのことや下ネタが大半だったけど俺達もブッティーさんもリアップさんも楽しそうだった。

かえるも食べた。
おいしかった。

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食事が終わるとブッティーさんとカンボジアという国について話し合いました。

カンボジアという国に潜む闇を大いに知らされた。
既得権益を守るということのために本当にたくさんの不正、不条理があることを知った。


ブッティーさんは言う。

「みんな私に『希望を捨てないで』というけど正直希望が見えない」


この5日間で僕らは心からブッティーさんを信頼し、尊敬していた。
カンボジアという明らかに貧しい国に生まれ、お金よりもお客さんの喜びのため、そして国のために働く彼の志やプロ根性を見せ付けられたからだ。

そんなブッティーさんが心のどこかで絶望していたことがなにより寂しかった。


でも、ブッティーさんはこうも言っていた。

「カンボジアが日本みたいになってほしい。
みんなが当たり前のように学習していて、パソコンが使いこなせるような国になってほしい。」

ブッティーさんは絶望と共に一方で希望ももっていると思う。
だからお金になりにくい日本人のNGO向けのスタディツアーの仕事ばかり引き受ける。



正直、カンボジアは「本で見た貧しくて誰かが助けてあげなきゃいけない国」でしかなかった。

今回初めて行く国だし、友達なんてもちろんいない。

でも、今日であった子ども達やブッティーさん、リアップさんとの出会いが僕らのカンボジアという国への想いをより深く、より感情的なものに変えていることに気づいた。

ホテルのベッドに横になりながら日記を書いていてそんなことを考えた。


5日目後編おしまい

中村健介
MONKEYMAGIC代表