年が明けて、1月2月、
なんだかモヤモヤ、停滞していた感が否めません。
と、気がつけば3月。
今日もお昼はずいぶん暖かかったですもんね。
心の余裕がないと、よくありませんね。
そういうときは、どうもこう、
どこか人様に迷惑をかけているような気もしたりして。
まあでも、昔に比べたら、
わりとコントロールが利く方になってきたかなとは思います。
でも、まだまだ、浮き沈みは激しい性格です。
でもそういうのが自分だと、ある種割り切っています。
昔は我慢しすぎることもありましたが、
最近は許される限り、表に出したりします。
その結果、我慢した方が良かったかな、と思うこともありますが、
ちゃんと後で誠実に対処すれば大丈夫かな、
そんなに法外なことはしていないよな、とか、
少し客観的に見たり、バランスをとれたりできるように、
なっている自分もあります。
基本、考えすぎるというか、感じすぎるというか、
そういう性質があるもので、
それが多感な頃はしんどかったですね。
一時期、電車に乗れない時期がありました。
いや、頑張ったら乗れるんですよ。
でもね、非常に、苦しい。
なぜ?まわりの視線が、自分に集まっているような錯覚を覚えていたんですね。
視線恐怖症とも言うんでしょうか。
頭では、誰も自分のことなど見ていないとわかっているのに、
体がそうは反応しない。
心拍数が上がり、顔が火照っているのもわかるほど。
1回ドキドキし過ぎて、ぶっ倒れたこともありますからね。
当時は電車に乗って座るなら、一番端の車両の、一番端っこに座る以外できませんでした。
今では電車は割と普通に問題なく乗れるようになりましたが、
この体質は完全に払拭されたというわけではなく、
ある別なシーンで視線が気になる状況がまだあったりします。
そんなことを言うと、
よくLIVEであれだけ平気な感じでしゃべっているなあと、
どうやらそう思われるようです。
矛盾するようです(笑)。
そりゃね、ものすごい視線が集まっている中あ~だこ~だしゃべっているわけですからね。
これは自分なりに、解明しています。
電車の件は、体の反応(見られている)と頭の反応(見られていない)が一致していないから精神的に問題が生じ、
LIVEの件は、いずれの反応も(見られている)と一致しているから何ら問題がない、
ということだと思っています。
もちろんLIVEでも人前でしゃべるわけですから緊張はするのですが、
その緊張と、電車で緊張するのは全く性質が異なっているのです。
繊細と過敏は紙一重、ただ、その性質の長所もあるわけで、
年齢とともに、長所と短所の比率は、
少しずつ良い方に変わっているような気がします。
考え方一つでもありますね。
もちろん、頭でわかっていても体がそう反応しなかったりしますが、
それも自分なのですから、そういう性質をうまく利用するというか、
うまく付き合っていくことだろうと思っています。
繊細と過敏は紙一重と書きましたが、
物事はいろんなことが表裏一体。
短所、弱点と思っていることも、
見方によっては長所やセールスポイントになったりします。
だって、人間や物事はすべて不完全なんですから。
完璧な人、物事はありません。
ということは、いろんな側面から見ると、いろんな性質があるということで、
多くのことが場合によって、良かれ悪しかれということになるのではないでしょうか。
そうだとしたら、もちろん悪いことも修正、反省したりすることは大事ですが、
基本的には良いことに視点を置くことが、大切なことではないかと思うのです。
天は二物を与えずではありませんが、
自分というものを、良い方向で、すなわち、生かせるような方向で、
前向きに歩んでいくことが大切なのだろうと思うのです。