1990/5/14
東京体育館
天龍離脱後の全日本プロレス、最初のシリーズ。
そう、この日、タイガーマスクが三沢になって、
超世代軍へと流れゆく起点の日だ。
タイガーマスク、川田利明vs谷津嘉章、サムソン冬木
試合中盤、タイガーが川田にマスクを取れと指示。
何回か指示した後、川田がタイガーのマスクに手をかける。
観客は失笑する者もいた。
解説は、その後まもなく全日本を離脱するザ・グレート・カブキ。
「何してんの?何してんの?」
とカブキ。そのうち、三沢がマスクを脱ぎ棄て、
猛然と谷津、冬木に攻めかかる。
館内からは「ミサワ!ミサワ!」の大コール。
そのうちジャーマンで冬木に勝つ。
試合後退場時には、福沢朗アナが
「なぜマスクを脱いだんですか?なぜマスクを脱いだんですか?」
と尋ねるも、三沢は無言。
これが5/14。その3週間後の武道館では、初めて鶴田に勝つ。
考えたら、この展開は早かったが、
密度の濃い3週間だったんだなあと思う。
三沢、川田、当時は田上も超世代軍、小橋ら。
鶴田、渕、カブキ、マイティ井上らのベテラン勢に立ち向かっていく。
シリーズ中の後楽園ホール大会では、
確か三沢がエルボーで鶴田を失神に追い込んだりしたんじゃなかったかな。
鼓膜が破れるとか、そんなんもあったような。
わずか3週間だが、全日本プロレスも濃かったが、
見ていた僕たちも濃い期間だった。
当時は、夢中だったからね。
中学3年だった。
中高一貫だったから、ろくに勉強もせず、
とにかく、全日本プロレスのことばかり考えていた時期だった。
テレビで月曜深夜にプロレス中継を生で見て、
生で見つつテレビの音声をカセットテープに録音して、
テレビ放送はビデオにも録画してまた後日見て、
また次の月曜を楽しみに待つ。
当時はね、そんなインターネットとかなかったから、
その日の試合結果とか、知りたかったら、
全日本プロレスのテレホンサービスに電話して聞かなきゃならなかった。
でも聞いちゃうと、楽しみがなくなるでしょ。
それを我慢して、中継を待ってたのね。
もし、週刊誌に試合結果が載るよりも、試合の放送が後だったら、
友達に、
「結果教えんなよ!絶対教えんなよ!」
とか言って、なんとか結果を知らないまま、放送を楽しみたかったんよね。
ね、今と時代は違うでしょ?
知りすぎは良くないことだってあるの。
わからないから、いいことだってあるの。
そこを我慢できるかどうかは、結局、人間という弱い生き物だから、
環境に左右されるんよね。
賛否両論はあるかと思うが、
プロレスが面白くなくなった一つの原因に、
インターネットの普及があると思う。
人間は、機械じゃないんだよ、コンピュータじゃないんだよ。
熱くなりたきゃ、我慢して自分をそういう方向にもっていきゃよかったんよ。
じゃあ今でもそうすりゃいいじゃないか。
でも、人間は弱いでしょ。
便利過ぎると、それに慣れて、わがままになって、我慢できなくなるのよ。
待つことができなくなるの。
あの頃、結果を知って、プロレス見てたら、あんなに熱くなれたと思う?
プロレスの裏側とか、ネットとかで知りすぎて、あんなに熱くなれたと思う?
こんなところに、私のどこか秘密主義があるのかもしれない。
ネタはばらしたくない、メンバーにも、できるだけ。
あの頃熱中出来て、ほんとに幸せだったと思うよ。
財産だよ。
馬鹿にする人はいるかもしれない。
でも本当に感謝したい、プロレスに。
三沢、鶴田、ハンセン、小橋、川田、田上、渕、そして馬場さん、
もちろん若林アナ、福沢アナ、そしてかかわっていた全ての人々に。
そう、自信を持って言えるのは、すごく誇りに思う。
そして、もうそんな時代に戻れないのは、すごく悔しく思うのよ。
だからこそ、続けなきゃいけないことがある。
どうあがいてもできなくなるまで。
悔しいんだよ!