アメリカに住んでいて、親が日本語を話せば、自然にバイリンガルになると思われがちですが、そう簡単なことではなく、やはりある程度親がプッシュする必要があります。
私の住んでいるところでは、補習校か習い事の一環のような日本語教室という選択があり、補習校は基本、日本の全日制の学校と同じ授業内容を週一日だけで学ぶと言うことでかなり厳しいと聞き、そこまでしなくてもいいかなーということで、週に一回、国語の教科書だけを使って教えてくれる教室を選びました。
が、
誤算だったのが、たまたま桜と同じクラスに入った子達が現地校でもかなり優秀な子ばかりだったこと。
この子たちは里帰り中に日本の学校に体験入学させても、全日で通っている子達と引けを取らない日本語力で授業を受けれるような子たちでした。
なので日本語教室でも出来る子達に合わせた授業の進め方をし、先生も教えていてやりがいがあったのか宿題も多ければ、毎週漢字テストまでありました。
しかもその漢字テストも皆満点近く毎回取るので、先生からも90点以上取ることを期待され、また他の親御さんも、補修校のように学年にあったレベルの日本語を教えて欲しいと思っているということを聞き、足を引っ張っている我が家は、毎週、毎週プレッシャーが半端なかったです。
ここで頑張り屋な娘だったら良かったのですが、娘はやる気のないことはとことんやりたくない子で、
日本語の勉強はしたくない。でも辞めたくない。
やらないのなら、辞めて欲しい。
辞めたくないなら、言われなくても自らやって欲しい。
で毎週末バトルっていました。
それでも辞めず、最後の二年くらいはコツを掴んだのかやる気が出たのか自主的にやるようになり、最終的にそのクラス自体が修了する中二まで通わせ、皆と一緒に卒業証書を貰いました。
今でもその時のクラスの友達とは仲が良いです。
というか住んでいるところが離れていたので現地校では別でしたが、今は同じ大学に通っており、キャンパスでもよく会っているようです。
当時は毎週、毎週、宿題をやらせるために娘と戦っていて、ここまでして日本語をやらせる意味ってと悩んだものですが、今では日本の音楽やゲームを楽しみ、当時の戦友(といっても娘以外はそれほど宿題もテストも苦にしていなかった、、)と仲良くしている娘を見ると、あのバトルも決して無駄でなかったんだなと思えます。
とは言え、もう二度とあの当時に戻りたくないですが、、、。
次回は息子と日本語学習です。
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