島津四兄弟 | 共和ゴム代表取締役・寺阪のブログ

共和ゴム代表取締役・寺阪のブログ

常に前向きに、チャレンジ精神をもって中小企業の経営しております。
大の歴史好きで「経営は歴史から学ぶ」をモットーに4つの会社経営に活かしております。

経営、歴史、政治経済、サッカーなどの事をブログに書いております。

薩摩の弱小大名だった
島津が、

戦国時代に
群雄が割拠していた九州地方を
統一まであと一歩というところまで

勢力を拡大できた大きな理由には、

島津義久、義弘、歳久、家久という
四兄弟の存在が大きいと思う。


長男の義久。
16代目当主。

徳川家康が「まさに大将の器」と称した。
統率力、政治力、統治力、交渉力に優れ、
当主として島津を大大名にまで導いた。


次男・義弘。
17代目当主。
僕が大好きな戦国武将です!

統率力、戦闘能力は兄弟随一。
人情味に溢れ人望にも篤く、
逸話やエピソードも圧倒的に多い。

長兄・義久に代わり、
島津軍総大将として歴戦に参加し、

数々の合戦で勝利を重ね、
常勝・島津を築く。


三男・歳久。

智謀、先見性に優れ、
島津家の軍師として活躍する。
まさに「島津の頭脳」である。


四男・家久。

武勇に優れ、次男・義弘とともに
各地で大活躍する。
義弘に代わり総大将を務める事もあった。

豊臣秀吉の九州征伐の先鋒隊である
総大将・仙谷秀久、
長宗我部親子、十河存保の
四国勢が率いる大軍を
戸次川の戦いで撃破し、
名将・長宗我部信親、十河存保を討ち取った。

しかし残念なことに
40歳の若さで病死する・・・


この四兄弟が居なければ、
島津はとうに滅亡してたと思う。

本当に凄い四兄弟だと思います!!


余談ですが、
関ヶ原の戦いでの島津の敵中突破!


関ヶ原の戦いが終わった後、
戦場に取り残された
西軍の島津軍(総大将は島津義弘)は
わずか1500名で

迫り来る東軍の大軍の中、
敵中突破を敢行する。

数十人ずつが
時間稼ぎの為に最後尾で囮となり、
死ぬまで戦い続けるという壮絶な戦術。

島津家久の長男である島津豊久も
最期は囮となり、
壮絶な討ち死に・・・

そして見事に敵中突破を果たす。

最後は
たった80人しか居なかったとの事。


この時の島津の戦い方は凄まじく、

追撃した徳川四天王の
井伊直政は大怪我を負い、
のちに、その怪我が原因で病死。

同じく徳川四天王筆頭格である
本多忠勝も負傷。

猛将・福島正則も
追撃を諦めたほどである。


敵中突破後、
島津義久による徳川家康との交渉も
マジで凄い!
鳥肌もんです!!


島津家は
本当に色々なドラマがありますね。

歴史は
本当に面白いですね。