大学時代のサッカー(3回生編) | 共和ゴム代表取締役・寺阪のブログ

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大学時代3回生には正式にキャプテンとなった。

(実質は2回生の時からキャプテン代理みたいな感じだったが・・・)


公式戦としては、同志社サッカーリーグ(通称「Dリーグ」)、京都社会人リーグ3部リーグ、同志社大学スポーツフェスティバルの3つがあった。


昨年(2回生時)は、上記3つで全て準優勝(2位)で、優勝はできなかった。。。。。

昨年、ボランチ(守備的MF)に全国レベルの選手が入ってくれたおかげで、中盤から前線にかけてはかなりエエ感じになったが、冷静にチーム力を分析すると、DF力の衰え、選手層の薄さ(特にDF陣)、ポストプレーが出来るFWの欠如だと思った。


ポストプレーが得意な西尾、総合力が高い瀬尾、DFの柱として期待できる橋本という1回生を補強した。

西尾と瀬尾は、僕と同じ同志社香里高サッカー部の後輩で、二人とも能力はかなり高いのはわかっていた。

彼ら二人が入ったせいで、僕自身がレギュラーではなくなる危険性もあったが、2年連続得点王の僕がレギュラーでなく、サブになってしまう事も構わないと思っていた。


僕とコンビを組んでいたチームの中心選手である川口は、FWだけではなく、MFも器用にこなせるタイプだったので、左MFに回ってもらった。


僕自身はFWだけではなく、右MFでも出来るように頑張った。

(結果、ここでの努力が現在でもサッカーが出来ている事につながっている)


ポストプレーが得意で身体能力が高い西尾をFWの軸に据え、周りが遊動的に動き回ることで相手チームのマークを混乱させ、中央からもチャンスをつくりことに成功した。もともとサイドへの展開や広い切り崩しは得意だったので、一気に攻撃の幅が広がり、公式戦では負けなし!!!という状況が続いた。


僕自身、ずっと好調で、昨年を上回るペースで得点を重ねた。

後輩である西尾や瀬尾の能力の高さのおかげだと思っている。


しかし、危機が訪れる。。。。

チーム唯一のポストプレーヤーでFWの軸である西尾が、FWをやめ、DFになりたい、とのこと。。。。。一瞬、耳を疑った。

チームとしては、西尾のおかげで十分機能しているのに・・・・・

しかし、西尾自身は得点がほとんどなかった。。。。。

チャンスはつくるが、チャンスに弱い・・・・そんな選手であり、性格はいたって純粋で真面目なので、チャンスで得点できない事をずるずると精神的に引きずっていた。


もともと能力は高く、センターバック(CB)や、サイドバック(SB)でも出来る選手だった。本人とはさんざん話し合ったが、本人の意思も固い上、このままFWをやらせても選手として潰れてしまうかもしれないと思い、最終的には彼をDFにコンバートした。

(DF陣の補強と言うメリットもあったし・・・・)


これが見事に当たった!!!!

西尾と橋本という1回生ふたりが、一気にCBとしてDFの要となってくれ、衰えていたDF力は一気にUPした。

両SBには不安が残っていたが、中央二人のCBはほんまによく活躍してくれた。


結局、公式戦の結果は。

同志社サッカーリーグ・・・・・準優勝(2位)だった。

                 またしても優勝できず・・・・・・

京都社会人リーグ3部・・・・・準優勝(2位)だった。

                 最終戦で引き分けてしまい・・・・優勝できなかった。

同志社スポーツフェスティバル・・・・見事に優勝!!!!

                     Bチーム(2軍)も3位にはいるという快挙だった。


僕自身は、3年連続でチーム得点王で、アシストランキングでも2位だった。


昨年と比べ、チーム力はUPした事は間違いないが、優勝できなかったのはやはり選手層の薄さかな。。。。。。

レギュラーとサブとの実力差が大きかった。

試合が膠着した時に、流れを変えれるスーパーサブ的選手がほしかった。。。。。


あとはキーパー・・・・・・・

結局、3人のキーパー(それぞれに一長一短あり)の実力に差がなく、タイプも違うので、1年間を通じて、レギュラーを固定できなかった。。。。。


そんな感じで、僕の大学時代3回生時のサッカーは終った。