大学時代のサッカー(2回生編) | 共和ゴム代表取締役・寺阪のブログ

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1回生の時は運良くツボにはまり快進撃を続ける事ができたが、冷静に客観的にみると、選手層の薄さ、DF陣の弱さがチームとしての大きな欠点だった。。。。

新しく入ってきた1回生は全てDFとGKだった。


特に竹本という凄い選手が入ってきた。

大阪で優勝候補だった強豪チーム(Jリーガーも数人輩出)でナント1年生からレギュラー!!しかも大阪選抜。

Jリーガーである海本(元日本代表)とも一緒にプレーしていたというツワモノ。。。。

うちでは即レギュラーは決まりだったが、肝心な彼のポジションをどこにするかで結構もめた。

驚異的なDF力とベディング力を活かし、DFの要であるCBにするか、豊富な運動量と展開力を活かし、チームの要であるボランチ(守備的MF)にするか・・・・・

僕としてはチームをより成長させたかったので、彼をボランチにした。

ロングキックが得意で大きな展開ができる彼が、僕や川口といった走り回るタイプのFW陣に素晴らしいロングパスをどんどん配給してくれた。


それともう一つ大きな改革をした。

それは、同じ2回生だった河本のコンバートだった。

彼は1回生の時は、左サイドバックだった。

彼はもともと小学校時代しかサッカーはやっていないが、その時の所属チームは大阪で敵なしだった高槻FC!!当然全国大会にも行った。

しかし当時の高槻FCには山口と杉山という凄いFW(二人とも当然Jリーグに行き、日本代表までになった)がいたので、サブ(第三のFW)だった。。。。。しかも中学時代はなぜかサッカーではなく、駅伝の選手・・・・・ホンマようわからん奴です。

しかし、サッカーセンスは抜群で、ドリブルがうまく、テクニックがある上に、駅伝で鍛えた体力もあり、身体能力も高く・・・ある意味欠点が見当たらない素晴らしい選手である。


僕はどうしてもチームを大きく成長させる意味でも、河本と竹本でMF陣を構成したかった。

DF陣には欠点が残ったままになるが、うちのチームは結構全員守備もやるチームだったので、DF力はチーム全員で何とかすれば解決できると考えていた。

この二人でゲームを組み立て、チームを統率すれば、ホンマ凄いチームになると思ったし、この二人が中盤に君臨するチームでプレーがしたかった。

結果は・・・・・大成功!!!

この二人の中盤での構成力はホンマ素晴らしく、僕自身いつも感心しながら一緒にプレーしていた。


うちのサークルでは3回生がキャプテンを務めるのだが、実質的にはサッカー部には一人も3回生が居らず、テニス部の人が建前上キャプテンだったが、実質は僕と金谷という同じ2回生がやっていた。

金谷とはかなり仲が良かったが、僕はFWで、彼はDFだったので、サッカー戦術やチーム構成では意見が合わない事があり、よく揉めた・・・よく二人で話し合った・・・・これはこれで結構楽しかった。


2回生になり、他のサッカーサークルに呼びかけ、Jリーグ発足に合わせ、Dリーグ(同志社サッカーリーグ)の設立を企画し、色々と働いた。

結果、Dリーグは全10チームとしてスタートできた。

記念すべき初年度は2位だった。。。。優勝は出来なかった。(僕自身はチーム得点王)


また京都府社会人リーグにも加盟した。

一番下の4部からのスタートだった。毎試合3点差以上の大差で連戦連勝だったが、運悪く龍谷大学体育会サッカー部2軍も同じリーグに新規登録していた。

龍谷大学体育会サッカー部2軍は、毎試合10点差近い得点差で大勝していた。20点以上の大差での勝利も数試合あった。

いよいよ直接対決がきた。

みんな気合いが入りまくりで試合に臨んだ。

開始早々、僕のオーバーヘッドで先制し、試合は優勢にすすめるが、後半の最後は体力的に負けてしまい、結果は2-3で惜敗。。。。

結果2位だったが、翌年からは3部に昇格できる事になった。

僕個人としては、チーム得点王&チームアシスト王の両方をゲットした。

(最終戦まではコンスタントに得点する川口が得点王だったが、最終戦で5得点し、川口を同じ8得点となった)


しかし秋の同志社スポーツフェスティバルでは、3位決定戦でもPK戦で敗北し、ベスト4とまりだった。

うちのチームはPKには弱かった。。。(特に中心選手の竹本と河本が・・・)


2回生時は、チーム改革に成功し、チームとして大きく殻を打ち破る事ができ、多くの公式戦でいい成績を残せる事ができた。