戦国時代に活躍した超有名な剣豪(槍豪?!)。
僕もかなり好きな(というよりも興味深い!?)人物である。
奈良で宝蔵院槍術を学び、槍の名人となる。
斉藤家、前田利家、豊臣秀次、佐々成政、福島正則などなど、仕える主君を転々としたにも関わらず、部下や庶民には大変優しく、人気はかなり高かった。
戦功は挙げるので出世も早かったはずだが、部下を率いる統率力には欠けており、自ら最前線で戦っていたので、武将というよりも一兵士という表現がふさわしい。
数々の戦で、戦功を挙げているが、もっとも有名なのは関が原の戦いでの活躍ぶりである。
可児才蔵が所属していた福島正則軍は、合戦が始まると同時に、西軍総大将である石田三成軍と戦いに、石田三成軍の実質的指揮者は、石田三成ではなく、「三成には過ぎたるものが二つある。島の左近と、佐和山の城」と謳われるくらい天才的な軍師兼豪傑である島左近!!!
戦闘経験のない石田三成軍が、歴戦の強者そろいの福島正則軍に対して優勢に戦いを続け、小早川秀秋の裏切りがあるまでは、ずっと東軍は劣勢に立たされていた。。。。。
そんな東軍不利な戦況のなか、可児才蔵は、先頭に立って戦い続け、名のある武将を倒し続けた。
いちいち首を持って帰る手間を惜しんで、自分の指物であった笹をちぎって、首の口にねじこんでおき、戦いまくった。東軍勝利後の首実検の際に、可児才蔵自身がその時に持っていた首はなかったが、17の首級を挙げたと主張・・・・調べた結果、笹をねじこまれた首級が17個!!!
東軍一の大手柄であった。徳川家康もビックリし、「笹の才蔵」と命名した。
余談だが、あの宮本武蔵も西軍の一兵士として関が原の戦いに参加していたが、それほど活躍すらできていない事を考えると、関が原の戦いでの可児才蔵の活躍は特筆に価するのではないか。
主君を転々と変え続けたのに、福島正則とはウマが合ったらしく、以後ずっと仕えることになる。
福島正則が改易され、広島藩の大大名から川中島に追放されても、それに付き従う。
広島には可児才蔵を祀る才蔵寺がある。
晩年は仏門に入り、貧しい人々に味噌を配るなど、庶民を助けていた。