父との思い出。その5 | Petitぷてぃ小平編集室のブログ | 小平市のミニコミ誌, タウン情報, ポスティング

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毎日どなたかに会いわくわくしながら取材をしています。

Petitぷてぃが
どのように出来上がるのかお知らせいたします。

ハイ!Petitぷてぃの福善です。

 

父はあんなに頑固で、

私の行動には厳しく、

口紅の色まで煩い事を言ったのに、

門限はなかったんです。

 

友人は、だいたい門限があったので、

何で私は門限が無いのか?

と父にききました。

すると、

「おまえなぁ~やりたいことは、

お日様が出ていようと、

お月様だろうと、

何時でもできるんだよ!!

門限なんてくだらないことだ。

遊びたい時期は、

遊ばなきゃダメな人間になる」

と言っていました。

 

私は、父は自分の事を言ってるんだなと、

笑ってしまいました。

 

そんなある日、

学校から帰ると父は言いました。

「車の教習所に申し込んできたから、

明日から教習所へ行け!!

といいいました。

 

その頃、

工場にあったのは軽トラックのダンプ。

私は

「ダンプの軽トラなんか乗るの嫌だからね」

と言ったら、

私の免許証が取れた日に、

中古のダイハツの軽乗用を買ってきて、

「ボコボコになるまで乗りつぶせ」

と、父が言ったので、

「車じゃなくて、私がボコボコになったらどうするの」

と言ったら、

いくらなんでも、そこまでお前はドジじゃない。

といいました。

 

本当にボコボコになるまで乗ったら、

半年後にブルーのワーゲンを買ってくれました。

あの頃は、ユーミンの歌と共に、

ワーゲンビートルは女の子が良く乗っていました。

私は、

「カルマンギアが欲しいと言ったのにビートルか」

とがっかり。

すると、

「次はアウディにしよう。

横浜ナンバーのアウディに乗ってみろ!!

お前、モテるぞ」

と、父が言ったので、

「バカじゃないのあせる車で付加価値を付けなくたって

私はボーイフレンドには困らない」

と言ってやりました。

 

すると父は、

「そうかぁ、安心した」

と、笑っていました。

 

そして、父はそれらの車を使い、

私に仕事の会合の送り迎えをさせるんです。

 

すると、

「この頃、俺、

若い女に送り迎えしてもらってるとか、

噂になっちゃうな」

と父が言ったら、

 

私が一言いう前に母が、

 

「馬鹿じゃないの、

そんなに顔がそっくりなのに、

娘だと分かるに決まってるでしょ」

 

父は、そうかぁ~?

そんなに似てないだろう

と言っているのでした。

 

私の気性は、

暴れん坊な父とそっくりらしく、

顔つき目つきは判を押したように

瓜二つ!ならしいです。

 

私の命ある限り

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