ハイ!Petitぷてぃの福善です。
まっね
何方が育つ期間にもいろいろなことはあります。
私だけではないです。
なぜならば、
沢山の悩める方々に対応している
心理カウンセラーの方や
産業カウンセラーの方とお話しますと、
何方も、言われます。
「病巣は家族に有り」
私もその通りだと思います。
ここからUPすることで、
誤解されたくないのは、
母を否定する子供っぽい事ではないんです。
母には母が生きてきた養育環境により、
獲得した生きにくさがあるのです。
が、
それに気づき、自身をより良い方法へ
向かわせるには・・・
母、本人が選択し挑まなければ変えられないんです。
このブログ読者ならご理解いただけると思います。
私の二回目の決意は17歳の時。
出来るだけ早く家を出よう。
このままここに居たら、
息苦しくて私らしく生きられない。
17歳になるまでに、
私は以下のような経験を繰り返しました。
子供が、困ったと相談した時。
どうしたらいいんだろうね~
一緒に考えようか・・・という家族環境も有れば、
私の場合は、
「どうしよう、困った」と傷口を見せると、
その傷口に笑いながらメスを突き立てるのが母でした。
「どんなに困っても誰も助けてはくれないよ。
母親だって助けない。甘えちゃいけない。
社会に出たらもっとつらいことがある。
自分で解決方法は見つけるのです」
それが、
彼女は教育だと信じているのです。
何回そんな風にされても、子供ってやはり
両親を信頼していますから、
何回も相談し、同じことをされ
私は途方にくれました。
が、
その様な事を繰り返したある時、
母の眼の奥に、意地の悪い光を感じたのです。
見つけてしまったと思いました。
これはいけない
ここに居てはいけない
私も、同じような人間になってしまう。
確かに、社会に出て究極に困った時、
「誰も助けてはくれない」
私も、そんな経験をしましたが、
まだ扶養している自身の子供には、
違う、伝え方もあったのではと考えます。
私も相当な宿命星を持っていますから
母に「産まなければよかった」と言われ続けたので、
私は母に言ったのです。
「昭和31年は優生保護法も有ったので、
私を産もうと決心したのは、
母である貴女であって、
私ではないです」
その時、
意外にも泣き崩れる母を見て、
もう決して、母にされることで脅えたりしない
と決意した13歳の私がいました。
それまでは、事あるごとに
「産まなければよかった」と、
言われるたびに申し訳ないと感じ、
私の何がいけないんだろうと、
真剣に悩みました。
母も感の良い人ですから、
今度は、
「産まなければよかった」
の代わりに、
「私を馬鹿にしているんでしょう」と、
事あるごとに言うようになりました。
本日はここまで・・・
こんな事で、
屈する宿命星を持っている私ではありません(笑)
ここから、もっと面白くなっていきますよ。
乞うご期待下さい。
私の命ある限り
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