なんで?マーチン好き。 | Petitぷてぃ小平編集室のブログ | 小平市のミニコミ誌, タウン情報, ポスティング

Petitぷてぃ小平編集室のブログ | 小平市のミニコミ誌, タウン情報, ポスティング

毎日どなたかに会いわくわくしながら取材をしています。

Petitぷてぃが
どのように出来上がるのかお知らせいたします。

ハイ!Petitの福善です。

 

はっきり言って、

サングラスを外したマーチンだったら、

Petitクライアントの男性陣の方がずっとハンサム。

 

男子友人に、

髭を生やして、サングラスかけて

マーチンの真似して!

絶対、カッコイイからとお願いしてます。

 

だけど、クライアント男性陣も男子友人も、

マーチンの七色の声では唄えない。

 

そして、

20年も付き合っている愛人がいるらしい。

田園調布の本妻、玲子夫人が、

「芸の肥やしになるなら」と腹をくくっているのに、

小平の玲子が騒ぐ訳にはいきません。

 

なぜ好きなの?と聞かれれば・・・

すごく共感するから。

マーチンは旋盤工の息子。

私は溶接工の娘。

 

街の鉄工所の家庭環境は想像できます。

マーチンも私もオープンバイト。

大人になってから歯列矯正をしている。

そりゃそうだ!

あのまま、

外国語の楽曲を歌ったとしても猿真似。

thの発音なんて、できるはずがない。

私ができなかったようにね。

 

初期の頃、

甘ったれた声で、

語尾を長く引っ張る唄い方は、

同級生のトッポイ男子が歌ってるのね。

位にしか感じませんでした。

 

ランナウェイのヒットからしばらくたって

ソロで歌いだしたマーチン。

 

「誰が歌ってるの?」とTVから聞こえた声に

思わず振り向いてしまった楽曲…

ラブラブ愛し君へラブラブ

その時感じたのです。

マーチン苦労したんだな。

グループの悩みもあったはず。

そして、たくさん努力して、

素晴らしく歌い上げる、

ソロ・ヴォ-カリストに彼は変化していました。

 

私もPetitぷてぃを立ち上げて3年目。

やっと、心に余裕が出来た頃だったのです。

 

1956年生まれの同級生。

同級生の素敵な変化は、

ドキドキするくらい嬉しかった。

 

シャネルズがデビューしたのが1980年

私はその年に母親になりそれ以後、

家族の事を最優先に生きてきました。

30年近くたって聴いたラブラブ愛し君へラブラブ

「マーチンやってくれたわね!

とすぐにCDを買ったのでした。

 

私の命ある限り

Petit の発行を決意しメラメラ

ブログランキングに参加しております。

応援よろしく、お願いいたします。

  ↓

にほんブログ村 地域生活(街) 東京ブログ 小平情報へ
にほんブログ村 

クリック宜しくお願いします。