本日は私の夫が亡くなって
23年目の命日です。
23回忌。
昨年の夏こんな経験をしました。
仕事帰りに築地の新大橋通り、
中央市場通り交差点を渡りました。
そこには、かつて夫と共に通った癌センター。
美しく、建て直された癌センターがそびえたっています。
見上げた私は、突然、この美しい外観の中に、
かつての癌センターがあるのではないかと体が動かなくなり。。。
私は、目をつぶってでも行ける、
古い癌センターの扉を開け、
エレベターに乗り、
8A病棟に行けば、
気分の良い日は、
エレベーターの前の長いすで新聞を読み、
私を待っている夫がいる。
白昼、滂沱の涙は止まらず、動くことも出来ず、
なんとか、歌舞伎座の前まで来たものの、まだ涙は止まらず、
銀座4丁目の交差点に差し掛かりなんとか気を取り直し、
有楽町の駅にたどり着きました。
そして、
ある日の対談放送を見ていたら、
93歳になられた、有名な芸術家が、
20代の時、新婚2年目で、パリの病院で新妻が病死し、
その事は、何十年たっても想い出にはならず、
今でも、パリの病院で、
小さく、大きく、苦しそうに息をしているに新妻が
ベットに横たわっていると思える。。。と。
それを聞いた時、私は納得しました。
伴侶を見送るという事は人生の何かがそこで止まってしまう。
未来がなくなってしまう何かが、大きなシコリとして残る。
そうだ、私は未亡人なのだと、いまさらながらに気がついた。
未亡人の本当の意味は皆さんご存知の通り。
ですが、
私は、未来を亡くした人。
そのような意味でもあるのではないかと感じたのでした。
たとえ、未来を亡くしたとしても、
残されたわが身は人生を全うせねばならず、
なんとか、人様に迷惑をかけず、
出来れば、お役に立って日々を送りたいと思う、
今日この頃であります。
私の命ある限り
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