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南極の日(12月14日 記念日)
1911年(明治44年)のこの日、ノルウェーの探検家ロアール・アムンセン(Roald Amundsen、1872~1928年)と4人の隊員が世界で初めて南極点に到達した。
1911年10月20日にアムンセンは4人の選抜隊とともに南極大陸のフラムハイム基地を出発し、4台の犬ぞりを1台あたり13頭、計52頭に引かせて南極横断を開始した。なお、アムンセンの名前はロアルド・アムンゼンなどとも表記される。
途中好天にも恵まれてアムンセン隊は順調に距離を伸ばし、1911年12月14日、人類初の南極点到達を果たした。
イギリス海軍大佐のロバート・スコット(Robert Scott、1868~1912年)と競争していたが、当初スコット隊に比べて不利と思われていたアムンセン隊が約1ヵ月先に到着した。
アムンセン隊は帰路も順調で、1912年(明治45年)1月25日に1人の犠牲者も出すことなくフラムハイムへと帰還した。一方、スコット隊は帰途に遭難し、パーティー全員が死亡するという結果になった。
その後、南極点の初到達を争ったアムンセンとスコットの2人に敬意を表して、アメリカが1956年(昭和31年)に南極点付近に建設した観測基地は「アムンセン・スコット基地」と名付けられた。
関連する記念日として、1月29日は「昭和基地開設記念日」、1月14日は「タロとジロの日」、4月6日は「北極の日」となっている。
今回の主人公はたけしです。たけしといっても人ではなく、今から70年近くも前、第1次南極観測隊員とともに南極に渡り、絶体絶命のピンチを乗り越えて、帰国を果たした三毛猫です。かの有名なタロ、ジロの物語の陰に隠れてしまい、たけしの存在はあまり知られていません。猫の中の猫というべき「
観測船に一足早く乗船した子猫
1956年11月初旬、1匹の子猫が第1次南極観測隊員の胸に抱かれ、観測船「
船乗り猫という言葉があるように、猫は安全な航海の縁起物とされています。日本では三毛猫が好まれ、極めて珍しいオスの三毛猫(誕生するのは3万分の1の確率が通説)となれば、船に乗せない理由はありません。隊員の菊池徹氏の「犬たちの南極」(中公文庫、1983年)によれば、川崎市の鈴木はなさんという女性ら数人が〈ぜひ南極へ、皆さまのお伴に〉と持参したのだそうです。
宗谷に乗船したとき、たけしは生後2か月とみられます。「犬たちの南極」には生後1か月足らずとあるのですが、後述の「南極新聞」には〈九月八日生〉と書かれていることから、生後2か月が正しいでしょう(「南極新聞」の文章は菊池氏自身がそもそも書いています)。
いずれにせよ、たけしは縞模様が特徴の三毛猫の一種「縞三毛」の子猫でした。
揺れに揺れる船旅を乗り越える
宗谷には人間以外に、タロ、ジロをはじめとするカラフト犬22頭、カナリア2羽が乗っていました。東京・晴海ふ頭を出港し、南極に到達するまで3か月近くかかります。船体の揺れは、“揺れ”と表現できるほど生やさしいものではなく、甲板で飼われたカラフト犬はロープでつないでいないと海中に転落しかねないほどでした。
カラフト犬の世話係だった北村泰一氏は〈二、三の隊員が、せっかく南極に憧れ隊員になったものの、この宗谷の揺れによる苦しみに耐えかねて、シンガポールやケープタウンで下船したいと訴えた〉(「南極第一次越冬隊とカラフト犬」教育社)と書きます。復路で撮影された、隊員お手製の救命胴衣を羽織るたけしはユーモラスですが、往路ではそうした余裕はなかったと見受けられます。たけしは子猫なりに、船内で手足をふんばって絶え間ない揺れと闘っていたのかもしれません。






















