おはようございます😃
あなたのお父さんはどんな人?
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優しいけど、平日の夜は大体寝落ちしてますよね
あと、よくカメラマンばりにボクたちを撮りまくりますね💦
父の日(6月第3日曜日 記念日)
父への感謝を表す日。英語表記は「Father's Day」。日本やアメリカでは6月の第3日曜日に祝うが、その起源は世界中で様々であり日付も異なる。
バラ
画像元:日比谷花壇
1910年(明治43年)、アメリカ・ワシントン州スポケーンのソノラ・ドット(Sonora Dodd、1882~1978年)が「母の日のように父にも感謝する日を」と提唱したのが始まりとされている。そのきっかけは、彼女が男手1つで自分を含む子供6人を育ててくれた父を讃えて、教会の牧師にお願いして父の誕生月である6月に礼拝をしてもらったことであった。
1916年(大正5年)、アメリカ第28代大統領ウッドロウ・ウィルソン(Woodrow Wilson、1856~1924年)は、「父の日」の最初の祝典が行われたスポケーンを訪れて、「父の日」の演説を行い、これにより「父の日」が認知されるようになった。
1966年(昭和41年)、アメリカ第36代大統領リンドン・ジョンソン(Lyndon Johnson、1908~1973年)は、「父の日」を称賛する大統領告示を発し、6月の第3日曜日を「父の日」に定めた。1972年(昭和47年)に、アメリカでは正式に国の記念日に制定された。
「母の日」の花がカーネーションなのに対し、「父の日」の花はバラである。ソノラ・ドットが、「父の日」に父親の墓前に白いバラを供えたことに由来するとされている。1910年の最初の祝典の際には、キリスト教青年会(YMCA)の青年が、父を讃えるために、父が健在の人は赤いバラ、亡くなった人は白いバラを身に付けたと伝えられている。
日本では、これらの風習が伝わり、アメリカに倣って6月の第3日曜日が一般的な「父の日」となっている。この日には日頃の感謝の気持ちを込めて、父に黄色いバラやヒマワリなどの花、シャツやネクタイ、ハンカチ、ビール、日本酒などの贈り物をすることが多い。
「父の日」の日付は以下の通り。
- 2016年6月19日(日)
- 2017年6月18日(日)
- 2018年6月17日(日)
- 2019年6月16日(日)
- 2020年6月21日(日)
- 2021年6月20日(日)
- 2022年6月19日(日)
- 2023年6月18日(日)
- 2024年6月16日(日)
関連する記念日として、「父の日」と同日は「モンブランの日」「イケダンの日」「父の日はうなぎの日」となっている。
また、5月の第2日曜日は「母の日」、「おとう(10)さん(3)」(お父さん)と読む語呂合わせから毎月13日は「お父さんの日」になっている。


「堂島ロール」の日(6月16日 記念日)
大阪府大阪市北区堂島に本店を置き、「堂島ロール」などの洋菓子を製造・販売する株式会社「Mon cher」(モンシェール)が制定。
日付は「6」が一巻きロールの形を表し、「16」が「堂島ロール」「いいロール」を意味する語呂合わせから。「堂島ロール」の美味しさと、人と人の心をつなぎ、幸せを運ぶ存在でありたいとの思いを伝えることが目的。
記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。この日を記念して、この日を中心に「ご当地ロール 全国5種食べ比べ」「堂島ロール 極み」などのスペシャルスイーツを数量限定で販売している。これらの商品には全てのお客様への感謝の気持ちが込められている。
「堂島ロール」について
堂島ロールを製造・販売するモンシェールは、水路が生んだビジネス街・堂島に2003年(平成15年)に設立された。「モンシェール」はフランス語で「私の大切な人」を意味する。お客様にとっての「大切な人」との間に笑顔や幸せが生まれますようにとの願いが込められている。
堂島ロールは、クリームの美味しさを伝えたいとの思いから生まれたロールケーキである。そのクリームは「クリームが苦手な人からも好まれる味わい」を目指し、乳業メーカーとともに開発した特注品。北海道の牧場から集めた数種類の生乳を独自にブレンドした、世界に一つしかないモンシェールだけの「完全オーダーメイドクリーム」である。
そのクリームのフレッシュな美味しさを一刻も早くお届けするため、同社では「キッチンから1時間以内にしかお店を構えない」という独自のルールを設けている。キッチンと店舗を1日数回往復し、できたての商品を並べることを大切にしている。
モンシェールのシンボルともいえる堂島ロールの丸い形は、「ご縁(円)」と「和(輪)」を表している。そんな堂島ロールは、2010年(平成22年)にモンドセレクションで最高金賞を受賞している。


無重力の日(6月16日 記念日)
「地下無重力実験センター」があった北海道上砂川町が1991年(平成3年)3月に制定。
日付は「む(6)じゅう(10)りょく(6)」(無重力)と読む語呂合わせから。
地下無重力実験センターは1989年(平成元年)3月1日、日本初の本格的な地下微小重力実験施設として第三セクターで設立された。建設にはこの地にあった三井砂川炭鉱の跡地が利用された。710mの縦穴を地下にむけて真空カプセルを落下させることで、微小重力状態を約10秒間作り出すことができ、各種実験が実施された。
しかし、実験1回当たりの経費が200万円以上と高価であったこと、実験結果を工業・商業的に応用することが難しいなどの状況から利用率は低迷し、実験センターは2003年(平成15年)に閉鎖された。
閉鎖後、宇宙開発の実験場としての貢献から、後に小惑星イトカワのクレーターの一つに上砂川(Kamisunagawa)の名が用いられることとなった。














