今日は漫画週刊誌の日 2024.03.17 | あゆゆい@ぼんごのブログ

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日々、徒然なるままに  基本、飼い猫の日記になりそうかな











こんにちは🌞

ってか、今日ブログ更新するの遅かったね…





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いちばん好きな漫画は、

ゲームセンターあらし

1巻から13巻まで持ってます。

全17巻なので、持ってない14〜17巻は

こちらで揃えましたニコニコ



同じ時期に読んだことがあった、のむらしんぼ作の『とどろけ!一番』も買い集めてました。

『とどろけ!一番』は結構レアな作品なので、高かったですね😥




『ゲームセンターあらし』の主題歌は、カラオケの全国採点もしてました口笛

JOYSOUNDとは相性良かったんだよね(笑)



「ゲームセンターあらし (TVサイズ)」歌詞

歌:水木一郎

作詞:すがや みつる

作曲:馬飼野 康二

あっあっあらし あっあっあらし
ゲームセンター あらし

真っ赤な帽子に キラッと光る
チャンピオン・マークだ インベーダー
巨大な出っ歯が ピカッと光りゃ
炎のコマが 燃えあがる

月面宙返りだ 空中回転
風よ!雲よ! 天まで届け!
地球の敵を ぶっ飛ばせ
ゲームに燃えた 血が騒ぐ

あっあっあらし あっあっあらし
ゲームセンター あらし




このレコード欲しいけど、



メルカリを見たら、高くて手が出ないよえーん






漫画週刊誌の日(3月17日 記念日)

1959年(昭和34年)のこの日、日本初の少年向け週刊誌『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』が発刊された。

『週刊少年マガジン』について

講談社が発行する漫画雑誌で、現在は毎週水曜日に発売されているが、創刊当初は木曜日発売で定価は40円であった。

『週刊少年マガジン』創刊号
『週刊少年マガジン』創刊号
(表紙の写真は横綱・朝汐太郎)

その当時のキャッチコピーは「ゆめと希望の少年マガジン」で、主力作品は連続小説が大半を占めていた。最初はヒット作には恵まれず、ライバルである『週刊少年サンデー』に水を空けられている状況が続いた。

しかし、1965年(昭和40年)のちばてつや「ハリスの旋風」を皮切りにマガジンの快進撃が始まり、「巨人の星」「あしたのジョー」の2大スポ根マンガで一気に少年雑誌としての地位を不動のものとした。その他にも「ゲゲゲの鬼太郎」「天才バカボン」なども連載を始め、1967年(昭和42年)1月にはついに100万部を突破した。

リンクマガメガWikipedia

『週刊少年サンデー』について

小学館が発行する漫画雑誌で、現在は毎週水曜日に発売されているが、創刊当初は火曜日発売で定価はマガジンよりも安い30円であった。

『週刊少年サンデー』創刊号
『週刊少年サンデー』創刊号
(表紙の写真は読売巨人軍・長嶋茂雄)

「サンデー」という誌名は「この雑誌を読むとまるで日曜日のように楽しい気分に浸れるように」という初代編集長・豊田亀市が名付けた。創刊前には「小学館の新児童誌」と宣伝され、実際、創刊から10年近くの間、学年誌の延長線上にあり、読み物や付録などが充実していた。

創刊号のラインアップは手塚治虫「スリル博士」、横山隆一「宇宙少年トンダー」、寺田ヒロオ「スポーツマン金太郎」、藤子不二雄「海の王子」、益子かつみ「南蛮小天狗」であった。

創刊号の売上げはサンデーが30万部、マガジンが20.5万部でサンデー側に軍配が上がり、マガジンも5号から30円に値下げした。これ以降もお互い張り合って雑誌の総ページ数を増やしていった。

1960年代半ばには手塚治虫「W3」がマガジンからサンデーに移籍する「W3事件」が起き、1960年代末には「天才バカボン」がマガジンからサンデーに移籍するなど、その後もライバル間の争いは続いた。







そんな本日3月17日は、

乃木坂46の中西アルノさん


元ももクロで女優の早見あかりさん

ももクロ時代(いちばん左)

ももクロ6人時代(いちばん右)


Kis-My-Ft2の玉森裕太さん


ミュージシャンの甲本ヒロトさん





俳優の伊嵜充則さん




この作品で有名になりましたね。



のお誕生日であります🎂🎉✨✨✨✨

おめでとうございます㊗️🎊

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