こんばんは🌙
久々に、キャンペーンネタが
登場しましたね
という事で、
私の今年の漢字はズバリ!
「運」
ですね
運が良い(幸運・好運)とは到底実現しそうもないことを、偶然実現させてしまうことなどを指す。運が悪い(不運・悲運)とは、楽しみにしていた旅行の当日に、発病してしまうことなどを指す。占いや、神社・寺院のおみくじは、この運を予言する力があるとされる。
勝負事などで運が良いことは「付き」(つき、ツキ)、「付いている」などともいう。ものごとが滞りなく行われること、かよい。
運には「運が良かった」などと過去の状況説明として用いられる場合と、「運の強い男」など個人の特性を説明するために用いる場合がある。「運」を用いた説明は好ましくない(妥当でない)と考える者もおり、「運」に関する信念の違いがおのおのの表現には反映されている。「運」を統制することができるかについての主観的な感覚にも個人差があり、合理的な努力の成果やポジティブシンキングの結果として運を掴まえる者もいる。一方でギャンブルのような統制可能性が低いものでさえ、何らかの努力で成功を得られると考える者がおり、因果関係ぬきで結果に対して満足感を得るために自分の行動に張るラベリングとして「努力」概念を導入し、不確実な事象の結果として満足が得られない者が「運が弱い」などと呼称することがある。
決定論の一つである因果的決定論に立てば、実は幸運や不運の意味はなく、過去や未来はすべて決定されているという考え方になる。ラプラスの悪魔に代表されるような存在によって結果はすべて見通されているということになる。ただし未来を見通す力がない人間にとってはどのような未来が到来するかは不確かであり、その意味で運が生じる。現在では古典物理学の決定論は否定され、量子論では起きる事象は確率的である。
世俗的なものの考えでは物の道理をよくわきまえ人情に通じ、確率的な危険性を適切に回避するなり他者の妨害を回避しながら、あるものごとを上手く成就させる才能と考えることもできる。但しこの視点はあくまで結果論による定義であり、運のよい人物が先験的に判別しうるかどうかはわからない。何事かをなす場合、うまくやる人とうまく出来ない人がおり、その理由がよく説明できないさいに「運が良い」「運が悪い」などと評論することがある。客観的に見て明らかに「運が良い」手法・手段、「運が悪い」手法・手段は存在するが、話者にとって判然としないものは「運」で語られることが多い。
今年はどんな『運』の1年だった?
ももクロライブ当選
5月17日(結成日当日のライブ、国立代々木競技場第二体育館)
10月14日(15周年ツアー、武蔵の森総合スポーツプラザ)
12月23、24日(ももクリ、さいたまスーパーアリーナ)
と、1年に4回もライブに参戦出来るのは…
初
しかも、5月と10月のライブは、
念願のアリーナ
5月の席は、サブステージの真ん前
もうね、サブステージに来た時は…
1列目だから、マジでヤバすぎた
10月の席は、真横がトロッコの通路になっていたので…見上げたら、そこにももクロのメンバーが
しかも、自分のうちわに百田夏菜子が気づいて手を振ってレスくれたんだよね
もうね、記憶が遠のく一歩手前まで逝っちゃったよ(笑)
『ラヴィット』の視聴者プレゼントの当選
昨年末に放送された『ゴールデンラヴィット』の視聴者プレゼントに初めて応募したんだけど、
今年の3月に、当選の通知が
5月に当選品のTシャツが届きました
5ヶ月後の11月に放送された『ラヴィット』の視聴者プレゼントに、今度は妻が応募したら、
3名枠に見事に選ばれて
当選品のチャンジャが届きました
まさに
✨運✨
の一年だった(まだ終わってないけどね←)
ですね