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ネット社会で便利・不便になったと思うことは?
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インターネット誕生日(10月29日 記念日)
1969年(昭和44年)10月29日、インターネットの元型である「ARPANET」(アーパネット)において初めて通信が行われた。
同日22時30分、アメリカのカルフォルニア大学ロサンゼルス校からスタンフォード研究所(SRI)に接続し、最初のARPANETのリンクが確立した。そして、“LOGIN”の文字列を送信しようと試みた。“L”、“O”と一文字ずつ入力し、送信を確認した後、“G”と打ち込んだ所でシステムがクラッシュした。それでも、これが「インターネット」という革命の始まりだった。
「ARPANET」は「Advanced Research Projects Agency NETwork」の略で、「高等研究計画局ネットワーク」とも呼ばれる。世界で初めて運用されたパケット通信コンピュータネットワークである。
アメリカ国防総省の高等研究計画局(略称ARPA、後にDARPA)が資金を提供し、いくつかの大学と研究機関でプロジェクトが行われた。ARPANETのパケット交換はイギリスの科学者ドナルド・デービス(Donald Davies、1924~2000年)とリンカーン研究所のローレンス・ロバーツ(Lawrence Roberts、1937~2018年)の設計に基づいていた。


ホームビデオ記念日(10月29日 記念日)
1969年(昭和44年)のこの日、ソニー・松下電器・日本ビクターが世界初の家庭用VTRの規格「U規格」を発表した。
それまでのVTRはテープを巻いたリールが単体で存在するオープンリール方式がほとんどだったが、U規格は民生用としての使いやすさを考慮し、19mm(3/4インチ)テープを使ったカセット方式が採用された。カセットテープの外形寸法は186mm×123mm×32mmで、非常に巨大であったことから「ドカベンカセット」などの通称もあった。
しかし、値段の高さやカセットテープの大きさなどから家庭には普及せず、各社が小さい1/2インチテープを使用した規格を構築し「家庭用の本命」とPRしていた。最終的にはソニーのベータ方式とビクターのVHS方式が残り、以降、両陣営の熾烈な争いが繰り広げられることとなった。ホームビデオ愛好家グループが両陣営に配慮して、この10月29日を記念日とした。


おしぼりの日(10月29日 記念日)
愛知県名古屋市西区に本部事務局を置き、全国各地域の貸おしぼり業協同組合で構成される全国おしぼり協同組合連合会(全協連)が2004年(平成16年)に制定。
日付は10月は「て(ten)」と読む語呂合わせと10本の指から、29日は「ふ(2)く(9)」(拭く)と読む語呂合わせで、「手を拭く」の意味から。
より多くの人に貸おしぼりの有用性を知ってもらい、活用してもらうことが目的。この日には、おしぼりの普及のためのイベントが各地で開催される。記念日は2023年(令和5年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
同連合会は、1992年(平成4年)12月18日に設立された団体で、地域社会に「貢献する企業」として、10組合182社によって構成される。そして、北海道から沖縄まで約40万軒の人々に支援されている。
環境破壊を引き起こす「使い捨て紙手ふき」と違い、清潔・安全で、しかも地球環境に優しい「貸おしぼりのレンタル」というリユース商品を取り扱っている。
衛生マークについて
貸おしぼりには「クリーンでサニタリーな状態であることの証」として「衛生マーク」というものがあり、貸おしぼりの包装フィルムにこのマークが付いている。清潔で使い心地のよい貸おしぼりのためにこのマークが制定された。
てぶくろの日(10月29日 記念日)
福岡県久留米市に本社を置く総合手袋メーカーの株式会社東和コーポレーションが制定。
日付は「て(10)ぶ(2)く(9)ろ」(手袋)と読む語呂合わせと、素手で行う作業がつらくなり、手袋をし始める時期に入ることから。
手を使うことで進化してきた人類。そんな大切な手を守る作業用手袋にもっと関心を持ってもらうことが目的。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
同社は、1947年(昭和22年)4月に創業された会社で、家庭用・工業用・作業用、各種手袋の製造・販売を行っている。
手袋の商品ラインナップには、車・バイクのメンテナンス用、ガーデニング・家庭菜園用、日曜大工用、屋内・屋外の清掃用、防寒用、介護用、ペットの世話用、調理用、洗濯・食器洗い用、ヘルス&ビューティ用、各種業務用などがあり、様々な用途の手袋が用意されている。
手袋(てぶくろ)とは、人の手を熱や寒さや危険物から保護するため、もしくは装飾のために利用される、手を覆う衣服である。形態によっては腕を覆うものもある。
親指用と、他の指をまとめて入れるスペースが2つに分かれている手袋は、北海道方言でぼっこ手袋(「ぼっこ」は棒の意)、英語では「mitten」(ミトン)と呼ぶ。それに対して5本指に分かれたものは英語では「glove」(グラブまたはグローブ)と呼んでいる。
手袋に使用される素材は多様で、綿や毛糸、フェルト、ゴム、ポリエステル、ナイロン、アクリル繊維の布、牛や豚や羊の革、人造皮革、ラテックス、ニトリル、金属、耐熱手袋に使用されるアラミド繊維やシリコン樹脂などがある。


ドリアの日(10月29日 記念日)
神奈川県横浜市で1927年(昭和2年)12月1日に開業した老舗ホテル「ホテルニューグランド」を運営する株式会社「ホテル、ニューグランド」が制定。
今では洋食の定番人気メニューとなった「ドリア」は、ホテルニューグランドの初代総料理長を務めたサリー・ワイル(Saly Weil、1897~1976年)が考案した料理である。
サリー・ワイルは、1927年にニューグランド開業の際にフランス・パリから招かれたスイス人シェフである。フランス料理のシェフだったが、西欧料理全般に長けていて、イタリア料理やスイス料理なども得意としていた。
ある時、ホテルに滞在していた銀行家から「体調が良くないので、何かのど越しの良いものを」との要望を受けて、サリー・ワイルが即興で創作した一皿が「ドリア」だった。
その時に作ったのは、バターライスに海老のクリーム煮を乗せ、グラタンソースにチーズをかけてオーブンで焼いたもの。好評だったこの料理は「シュリンプ ドリア」(Shrimp Doria:海老と御飯の混合)としてホテルのレギュラーメニューになり、名物料理の一つとして今日まで愛され続けている。
また、そのホテルの「ドリア」が弟子達によって他のホテルや街場のレストランでも提供されて広まり、全国の洋食の定番料理「ドリア」として大人気となった。
記念日の日付は、サリー・ワイルが来日しなければ「ドリア」は生まれなかったので、サリー・ワイルがスイスから来日した1927年(昭和2年)10月29日から。記念日は2021年(令和3年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
サリー・ワイルは、約20年間にわたり日本に本場ヨーロッパのレシピや技術を伝え、日本の西洋料理の発展に寄与した。
後にスイスへ帰国してからは日本からの留学生の受け入れに尽力し、日本から留学した留学生達からは「スイス・パパ」と慕われた。サリー・ワイルがいなければ、日本の西洋料理界の発展は数十年遅れただろうとも評される。
なお、ホテルニューグランドの公式Webサイトでは、同ホテルの発祥グルメとして「シーフード ドリア」の他に、「スパゲッティ ナポリタン」と「プリン・ア・ラ・モード」が紹介されている。













