今日はビートルズ記念日 2021.06.29 | あゆゆい@ぼんごのブログ

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日々、徒然なるままに  基本、飼い猫の日記になりそうかな







おはようございます😃






なんだかんだで、明日で今年も半分終わってしまうんだよねびっくりあせる


めっちゃ

早くないか⁉️



1日24時間じゃなくなってんじゃないかえー

って思ってしまうくらい、月日が経つのが早過ぎる笑い泣き



知らないうちに、大晦日になってんじゃないか

🤪









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たま〜に、カーペンターズを聴きたくなっちゃうかな口笛

このベストアルバムはマストアイテムですグッ




カレンの死から38年。カーペンターズが世代を越えて、今でも愛され続ける理由

いまだにCDセールスやカラオケのランキング上位に食い込む人気ぶり。18年には17年ぶりの「新作」がリリースされるなど、1983年2月4日のカレン急逝による活動停止から38年経った今でも愛され続けるカーペンターズですが…。

今では懐かしいカーペンターズ。名曲の数々を生み出してきました。兄妹での活動でしたが若くして亡くなってしまったため活動期間はさほど長くはありませんでした。カレンの軌跡をたどってみましょう。

生い立ち

デビュー間もない頃だと思います


13歳の頃は、将来は看護師か画家になるのが夢だったという。

出生名
カレン・アン・カーペンター
生誕
1950年3月2日
出身地
アメリカ合衆国
コネチカット州ニューヘイヴン
死没
1983年2月4日(満32歳没)
ジャンル
ポップ
職業
歌手
担当楽器
ボーカル、ドラムス
共同作業者
リチャード・カーペンター
著名使用楽器
ラディック

1950年3月2日アメリカ合衆国コネチカット州のニューヘイヴンに生まれる。家族は1963年にロサンゼルス郊外へ転居した。その頃、兄のリチャードが近所の公園のコンサートでピアノを弾いていた際、兄に促されてスキータ・デイヴィスのヒット曲「この世の果てまで」を歌った。これが、兄妹一緒に人前で行った初めての演奏となる。


音楽の目覚め


カレンはドラムに没頭し、練習を繰り返したという。


当時、まだデジタル編集が出来なかったこともあり彼らのような多重録音を多用するアーティストたちは
非常に苦労したときいています。

しかしカーペンターズの場合はカレンの超絶と言えるほどのリズムキープ力がそれを可能にしていたらしいです。


カーペンターズとしてのスタート


カーペンターズが現役の頃、「最新の録音技術を駆使して作られた音楽」
と言われていました。


カーペンターズの 1969年リリースのファースト・アルバムです。オファリング (Offering)


カーペンターズとして活動し始めた当初まで、ドラムとボーカルを担当した。。その後、カーペンターズとしての活動が活発になり、ステージに立つことが多くなったこともあり、リチャードの意向を受けてヴォーカル専門に活動するようになった(カレンがタムの多いドラムを好んで使っており観客席から見えにくいというのも一因であった)。カーペンターズはカリフォルニア州を中心として、世界的に活動した。


ヴォーカリストとしての才能


カレンの魅力と言えば何といってもその音程のブレない伸びのある低音だと思います。

日本の歌手でこれだけのしっかりした低音部を歌える人はあまり居なかったんじゃないでしょうか?


カーペンターズとして活動し始めた当初まで、ドラムとボーカルを担当した。

本格的にボーカルのトレーニングを受けにいくと、トレーナーから
「あなたには、何も教えるものはない。」と言われたことから、彼女には歌手としての天性の素質があった。

声の美しさについては、ポール・マッカートニーやジョン・レノンも絶賛したという。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第94位。
「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第48位。

精神的な病


1974年、3度目の来日時に、リチャードと共に和服姿の写真を撮影、
翌年発売されたライブアルバム「CARPENTERS LIVE IN JAPAN」 に
付録としてその写真が添付され、カレンによると、この頃が最高に太っていたという。

自らの体型については太りすぎという固定観念を持っており、やがて精神的な病となっていった。
ある日、カレンは兄リチャードに「ねえ、お兄ちゃん。私って太ってる?」と聞いたという。
するとリチャードは「あぁ、ちょっとな」とさり気なく答えた。
事実、その頃のカレンは平均的な女性と比較してぽっちゃりしていた。
その兄の言葉を受けたカレンは、「絶対に痩せてやる!!」と発奮。
ダイエットに励むようになったが、それが彼女の寿命を縮める結果となってしまった。

精神的な病というのはなかなか人には認知されずらいものであります。

でも本人にとっては非常に大きな問題であり自身では解決できない事のほうが多いのです。

何気ない日常の中での一言が引き金になることもあるという、いい例ではないでしょうか。

摂食障害(拒食症)に悩まされる


カレンはいつの頃からか摂食障害(拒食症)に悩まされるようになる
(音楽誌にFat Sister「太っちょカレン」と書かれた事が原因の一説として囁かれている)。
後のセラピーの過程で親子関係が背景にあると見られている。
このため、1975年に予定されていた日本公演が中止となった。
当時の招聘先である、キョードーのコメントは「神経性食意不振症」によるものであった。

当時はまだ拒食症という病気は、
まだまだ世間での理解が進んでいなくて、
「ダイエットのし過ぎ」
「わがまま病」
程度の扱いを受けることが多くありました。

実際に周囲の人たちもそのように考えていましただろうし、
なにより当人がぜんぜん病人らしくないという厄介な病気なのです。

そんなこともあり日本公演が中止になった時の主催者側の発表にも
よく解からない病気のような表現をしていました。

死去


1983年2月4日早朝、両親の家で意識不明になっているところを発見され、同日死去した。32歳の若さだった。死因は急性心不全。長期の闘病生活が心臓に負担をかけていたと思われる。なお、映画「カレン・カーペンター・ストーリー」によれば、晩年は過食症と拒食症の症状が繰り返し起こっており、死去前日は食欲が少し出てきたところで翌日亡くなった事になっている。彼女の死は社会に衝撃を与え、拒食症などの摂食障害が社会的に認知されるきっかけとなった。

カレンの遺体はカリフォルニア州オレンジ郡のForest Lawn-Cypressに埋葬されていたが、2003年末に兄リチャードの自宅に近いロサンゼルス郡のPierce Brothers Valley Oaks Memorial Parkに改葬された。





…って、すっかりカーペンターズ記事になってしまったニヤニヤ



ボクも聴くから、全然構わないよ

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