哲学者の言葉、何か知ってる?
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…って事で、ちょっと調べちゃいました

ソクラテスの名言・格言
・よりよく生きる道を探し続けることが、最高の人生を生きることだ。
・本をよく読むことで、自分を成長させていきなさい。本は著者がとても苦労して身につけたことを、たやすく手に入れさせてくれるのだ。
・良い本を読まない人は、字の読めない人と等しい。
・人間の美徳は、すべてその実践と経験によっておのずと増え、強まるのである。
・幸福になろうとするならば、節制と正義とが自己に備わるように行動しなければならない。
・ねたみは魂の腐敗である。
・何人も本意から悪人たるものなし。
・我々が皆自分の不幸を持ち寄って並べ、それを平等に分けようとしたら、ほとんどの人が今自分が受けている不幸の方がいいと言って立ち去るであろう。
・自分自身が無知であることを知っている人間は、自分自身が無知であることを知らない人間より賢い。
・財産や名誉を得る事のみ執心し、己の魂を善くすることに努めないのを恥とは思わないのか。
・魂の探求のない生活は、人間にとって生きがいの無いものである。
・汝自らを知れ。
・生きるために食べよ、食べるために生きるな。
・世界を動かそうと思ったら、まず自分自身を動かせ。
・いかなる財宝と比べようとも、良友に勝るものはないのではないか。
・他人からされたら怒るようなことを、人にしてはいけない。
・指導者とは、自己を売って、正義を買った人間だ。
・一番大切なことは、単に生きることではなく、善く生きることである。
・嘘はいつまでも続かない。
・少量をうまくやる方が、大量にまずくやるよりもよい。
・金持ちがどんなにその富を自慢しているとしても、彼がその富をどんなふうに使うかが判るまで、彼をほめてはいけない。
・人間の最大の幸福は、日ごとに徳について語りえることとなり、魂なき生活人間に値する生活にあらず。
・不正を受ける者は、不正を働く者よりも幸福である。
・勉学は光であり、無学は闇である。
・賢者は複雑なことをシンプルに考える。
・友と敵とがなければならぬ。友は忠言を、敵は警告を与う。
・父母に恩を感じないなら、汝の友となる者はいないだろう。
・とにかく結婚したまえ。良妻を持てば幸福になれるし、悪妻を持てば哲学者になれる。
・子供は、生まれたその日から、厳しくしつけなければならないものだ。
・幼にして謙遜なれ。弱にして温和なれ。壮にして公正なれ。老いては慎重なれ。
・満足は自然の与える富である。贅沢は人為的貧困である。
・法は、善人のために作られるものではない。
・悪法もまた法なり。
・何人たりとも、不正に報いてはならない。
・善人においては、現世にても死後にても悪は発生せず。
・唯一の真の英知とは、自分が無知であることを知ることにある。
・名声は英雄的行為の芳香なり。
・われはアテネ人にあらず、ギリシア人にあらずして世界市民なり。
・死はいうまでもなく、肉体よりの解放にほかならず。
・私が知ってるいるのは、自分が何も知らないということだけだ。
・吟味されざる生に、生きる価値なし。
・唯一の善は知識であり、唯一の悪は無知である。
・死は、人間のもっているすべての恵みの中でも最高のものである。
・討論が終わったとき、悪口は敗者の道具になるのだ。
・わたしは最小限の欲望しかもたない、従ってわたしは神にもっとも近い。
・良い評判を得る方法は、自分自身が望む姿になるよう努力することだ。
・あなたのあらゆる言動を誉める人は、信頼するに値しない。間違いを指摘してくれる人こそ信頼できる。
・出発の時間がきた。そして、私たちはそれぞれの道を行く。私は死ぬ、あなたは生きる。どっちが良いのかは神だけが知っている。
・人間に関することに安定などないことを忘れてはならない。それゆえに、繁栄している時には過度の喜びを避け、逆境にある時には過度の落ち込みを避けなさい。
・死ぬことと、自分の信念とどちらが大事か‼️
…書くの📝疲れたぁ〜
哲学の日(4月27日 記念日)
紀元前399年のこの日、古代ギリシアの哲学者ソクラテス(紀元前469年頃~紀元前399年)が、時の権力者から死刑宣告を受けて、刑の執行として獄中で毒を飲んで亡くなった。

ソクラテスは、アテナイ(現:アテネ)で活動し、対話的問答を通じて相手にその無知(無知の知)を自覚させようとしたが、アテナイ市民には受け入れられなかった。
国家の認める神を認めず、新しい神を導きいれ、青年を腐敗させる者として告発され、死刑判決が下された。
弟子たちは脱獄を勧めたが、「悪法も法である」と言って聞き入れず毒を飲んだという。自身の知への愛(フィロソフィア)と「単に生きるのではなく、善く生きる」意志を貫き、判決に反して亡命するという不正を行うよりも、死を恐れずに殉ずる道を選んだとされている。
ソクラテス自身は著述を行っていないが、その思想は弟子の哲学者プラトンやクセノポン、アリストテレスなどの著作を通じ知られる。また、ソクラテスの妻であるクサンティッペが悪妻として有名であったことから同日4月27日は「悪妻の日」となっている。
駅伝誕生の日(4月27日 記念日)
1917年(大正6年)のこの日、京都・三条大橋から東京・上野不忍池までの23区間の約508kmを3日間かけて走る東海道五十三次駅伝競走(東海道駅伝徒歩競走)が行われた。
最初の駅伝は、江戸が東京と改称され、都と定められた東京奠都の50周年記念として讀賣新聞社会部長・土岐善麿の発案で同社が主催したものであった。
この駅伝競走のスタートとゴールである三条大橋および上野不忍池の近くには「駅伝発祥の地」の碑がそれぞれ置かれている。
国際陸上競技連盟では、駅伝の国際名称を「Road relay」としているが、日本が発祥であることから、そのまま「Ekiden」という名前が世界で使用されることもある。
「駅伝」の名前は、東海道五十三次の「駅」にちなんで名付けられた。「駅」とは首都と地方の間の道路網に30里(約16km)毎に置かれた中継所のことをいい、ここに宿泊施設や人、馬を配置していた。
駅に朝廷の使者など身分の高い人が到着すると、次の駅まで乗り継ぎの馬を用意する仕組みが整っており、この制度を「駅制と伝馬制」あるいは「駅伝貢進」といった。