今日はチャップリン誕生の日 2019.04.16 | あゆゆい@ぼんごのブログ

あゆゆい@ぼんごのブログ

日々、徒然なるままに  基本、飼い猫の日記になりそうかな



チャップリンの出演作、みたことある?

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう




あるような…無いような…




昔、レンタルビデオ店の店長をやっていたんだけど…その時にお店の大半のビデオを片っ端から観ていったからえー
その時に観たような…気がするかなキョロキョロ


そんなレンタルビデオ店も、今は進学塾になっていたよガーン
下矢印下矢印


4月16日 チャップリンデー

4月16日 チャップリンデー  イラスト 福ちゃん
記念日イメージキャラ 福ちゃん

 1889(明治22)年のこの日、20世紀最大の映画監督であり、喜劇俳優であったチャールズ・チャップリンがイギリスで生まれました。
 第1作のタイトルは「成功争ひ(成功争い)」、1915(大正4)年からおなじみの「チャップリンの○○」シリーズが制作されました。


カチンコカチンコカチンコカチンコカチンコカチンコカチンコカチンコカチンコカチンコカチンコカチンコカチンコカチンコカチンコカチンコカチンコカチンコカチンコ



さらに、本日4月16日は
ボーイズビーアンビシャスデーでもありますガーン



ボーイズビーアンビシャスデー(4月16日 記念日)

1877年(明治10年)のこの日、札幌農学校(現:北海道大学農学部)の基礎を築いた教頭・クラーク博士(1826~1886年)が、「Boys,be ambitious.(少年よ、大志を抱け)」という有名な言葉を残して北海道を去り、アメリカに帰国した。

クラーク博士

本名はウィリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark)であるが、日本では「クラーク博士」として知られる。クラーク博士は、1年前の1876年(明治9年)8月14日に日本初の官立農学校である札幌農学校が開校した際に、日本政府の熱烈な要請を受けて招かれた初代の教頭だった。その当時、クラーク博士はマサチューセッツ農科大学(現:マサチューセッツ大学アマースト校)の学長であり、その農科大学の1年間の休暇を利用しての訪日であった。

アメリカに帰国後、マサチューセッツ農科大学の運営に関する地元の理解が得られず、また、メディアによるクラーク学長の放漫財政批判などもあり、クラーク博士は学長を辞職した。その後、2年かけて世界一周して見聞を広めながら教育する「洋上大学」の開学を企画するが失敗。また、知人と共に鉱山会社を設立し、当初は大きな利益を上げたが、やがて会社は破産。その後、破産をめぐる裁判に訴えられて悩まされた。

晩年は心臓病にかかって寝たり起きたりの生活となり、1886年(明治19年)3月9日、失意のうちに59歳でこの世を去った。彼は帰国した後も札幌での生活を忘れることはなく、死の間際には「札幌で過ごした8ヵ月間こそ私の人生で最も輝かしい時だった」と言い残したと伝えられる。

クラーク博士を模して作られた像が多数あるが、北海道大学の古河記念講堂前に設置されている胸像「ウィリアム.S.クラーク胸像」、北海道札幌市豊平区羊ヶ丘のさっぽろ羊ヶ丘展望台の全身像「丘の上のクラーク」が有名である。

丘の上のクラーク