その女性の事を考えるときは、いつも憂鬱だった。


その頃の私は、強い独占欲と嫉妬心に振り回され、その女性の一言一言に敏感に反応していた。


だが一方で、驚くほどに醒めた自分もいて、その女性に惹かれているのは性的な部分のみだと確信していたし、完全に醒める時が来るのも間もなくであると感じていた。



その女性と知り合ってから、1年半が経った。



その女性は、最初は割り切った関係を求めていたにも関わらず、どんどん私の方へ正面から歩み寄る様になっていた。

最初の頃の私への言動を侘びていた。

自分のパートナーの話を多くする様になり、私と比べることは無かったが、自分が気づかない間に天秤にかけていることを私は時折感じた。

自分のパートナーのことはとても大切らしいが、男として私を求め、一緒に生活をしてみたいとも言った。


正直、その頃の私には、全くそんな感情がなかった。

言葉ではそれらしい返事はするものの、最も生活を共にする必要のない相手だと考えていた。


ただし、性的な対象としては私の感情を大きく動かし、しつこく私の中に焦げ付いていた。

性的な嫌悪感を感じながら、その女性との性行為は飽きることがなかった。




長年付き合った彼女との別れは、私の予想を大きく上回り、彼女を深く傷付けた。


彼女は憔悴しきっていた。身投げをするとも言った。


本気で行動に移すことはないと考えていたが、自暴自棄になり、危険な状態もあった。


彼女とは、あまりにも深く付き合い過ぎていた。


共通の仲間はもちろん、お互いの友人も、お互いの家族も知っていた。


そんな彼女を見て、私は正直、疎ましく感じていた。


長年付き合ってきて、培われたものは”情”であり、”情愛”には至らなかったのだろう。


そもそも、私は情愛というものに対して、一般的な指標と比べて欠落した人間なのかもしれない。


それは、飽きっぽいだとか、気が多いといった小手先の次元の話ではなく、根本的に私の中にその感情が欠落しているのだと思った。


現在、感情が盛り上がっている女性に対しても、間もなく気がなくなることは目に見えていたし、その女性に時折感じる生理的な嫌悪感は、その前兆である。


私は、このころから女性に感情を預けようとすることが無くなり、女性は単なる性の対象としか考えられなくなっていった。

女性との二度目の夜以来、私達は頻繁に会うようになった。私が仕事を終えるまで、その女性は数時間ドトールで待つことも何度かあった。

頻繁に会い続けるうちに、いつの間にか私は四六時中その女性の事を考えるようになっていた。

一方で、その女性を知れば知るほど、これまで私が避けてきたタイプの女性であることが浮き彫りになっていった。
性行為を好むのは大いに結構だが、性行為を軽んじていた。行為自体はたいしたことでは無いと言い、私以外でも機会があれば簡単に関係を持つだろうと言った。
実際、私以外にも親しい男性は存在して、時には会っている様な事を言った。
私は貞操観念の低い女性を否定してきた。人それぞれに判断基準は違うかもしれないが、その女性が自分の事を正当だと言い張り、私の考えが稚拙だ言うことで、私の考えはどんどん頑なになり、どうでも良いことにまで過敏に反応した。

数カ月が経ち、私の友人達とも会う様になった。その女性は既婚者であることから、私との関係は明らかにしないでくれと口止めされていた。休日の昼食を、二度ほど友人と共にした。
始めて互いの友人を交えて夜飲むことになったが、私は仕事のために遅れて合流した。
その女性は私の存在を完全に無視し、明らかに私の友人を誘惑していた。



今考えれば、私の嫉妬心を掻き立てて、私の気持ちを繋ぎ止める言動を繰り返していたともとらえることができるが、私はまんまとそのトラップに飲み込まれていった。
だが、その女性は、実際にその言動の様な素養を持っていることは間違いなかった。

その女性のことを考えるとき、ほとんどが嫉妬であり、嫉妬という感情が持つ威力を思い知らされた。

嵌められている事に気付きながら、もはやどうすることも出来ない状態に陥っていた。



私は、長年付き合い、結婚間近であった彼女と別れた。