実は旦那が視覚障害になってから断捨離をはじめました。
元々、家の中がごった返しているのが嫌いなのと3年前に今のマンションに移り住む時にかなりの物を捨て物を増やさない生活を心がけてきたのであまり捨てる物はないけど、、。
最近、物を捨てることだけが断捨離ではないということを知りました。
不必要なものを捨てるのと一緒にその物に囚われた思いも捨てる。そして物理的にも精神的にもスッキリしたシンプルな生活を手に入れる。
なるほど、、私の場合は家はかなりスッキリした生活しているけれど見えていた旦那との生活に囚われすぎてた気もする。
見えていた頃の旦那がパーフェクトに素晴らしかったわけでもないのに笑
そして、家族たちのこと。
旦那が見えなくなる少し前に私達は長年住んだ私の地元を離れより便利さを求め今の場所に引っ越した。
長男は家庭を持ち滅多に会えなくなった。
次男は会社の転勤で片道2時間のところに引っ越した。
末っ子は寡黙な思春期に突入した。
そして旦那が視覚障害になった。
環境の変化についていけない。
やっぱり、旦那の視覚障害が1番キツイ。
キツイ時はどうしても過去の良かった記憶に囚われてしまう。
近所に両親も友達もいないのも、長男や次男が家を出たことも、末っ子の思春期という成長も旦那の見えないこととは関係ないのに。全部ひっくるめて考えるからおかしなことになってしまう。
旦那が視覚障害になった一年前。旦那と一緒にできなくなったあれやこれやに思いを馳せて嘆いていたけど、、約一年かけてその思いを咀嚼してホントにそれがしたかったの?って自問自答してみたら、、
その答えはNOだった笑
旅行や食べ歩きは好きだけど、それは別に旦那としたいことじゃない。旦那と行ってもいいけど気の合う友達や息子とでもOKだし何なら1人の方が気楽で楽しめる。相撲観戦も末っ子と2人で行く方が楽しい。
幸い、、今のところ視覚障害であっても同じ仕事をして休みは多いものの収入は安定している。
保険やら何やらの障害者になったおかげで頂けたお金は投資に回し順調に増えている。
旦那は見えなくて可哀想だけど私的には順調なんじゃない?
そんなこと思うのは妻として最低だなって思うけど
私たち夫婦はそのくらいがちょうど良い関係でいられる。必要以上に心配されたり世話を焼かれるのが嫌いな旦那だから、こんな私がちょうどいい。
まだ完璧ではないけど、こうして日々少しずつだけど旦那を家族を断捨離している。
大事に思う気持ちだけを残して、その他の思い出は私には必要ない。