旦那が見えにくくなって一年がたった。

レーベル病を発症して一年半以上たった。


中2だった末っ子は高校生になり

ウラ以外にオモテとラモを家族に迎え

旦那も見えないことに慣れてきて仕事も復活した。

最初は人の顔がわからない、、やら

見えないことへの不平不満、ちょっとした言葉に傷つき今までは受け流せて来たこともバカにされていると感じていたが、

今は見えないことが自分の特性だと受け止めつつある。


当初、繋がった視覚障害者達とのご縁も面倒くさいしあまり興味もないとのことで顔を出すのをやめた。


1人で電車に乗り継ぎ仕事でどこへでも行くし時にはサウナに行ったり、ワンコの散歩も音楽を聴きながら1人で行く。


私は、、

相変わらず外で働きもせず旦那の会社の経理だけをやる。

会社関係の事は全て自分で把握しておきたい人だったけど少しは任されるようになった。それでも細かいことは全て旦那だから私は言われたことをやるだけで負担はほぼない。


お札の区別が面倒だと、、全て電子マネーにしてからお金を余計に使うこともなくなり余ったお小遣いで焼き肉に連れて行ってくれたりもする。


「フレブル欲しい〜」と言えば一緒にペットショップに行ってくれる旦那。

「旅行に行きたい」って言えば予約していいよ。って言う旦那。

相撲だって私のタイミングで一緒に見に行く。


いつだって前向きで挫けない旦那。

この前は見えないのに家族でボーリングに行きスコア100超えって、、ホントは見えてんじゃね?って旦那以外の家族で囁きあった。


近い将来、私に何かあっても大丈夫でいたいから、その時に困りたくないから何でも自分でやる。

これは、中学生の時にお母さんが突然亡くなり日々の生活が困った経験からそうなんだと思うけど、そのおかげで私は旦那が見えにくくても何も大変じゃない。


そんな前向きな旦那だから、、

私は弱音をはけない。私の愚痴や弱音は旦那からしたら鼻くそ以下のくだらないことだから。

嫌だな、、困ったなって思うようなことも

旦那の生きにくさや頑張りを見てると簡単に口にすることが出来なくなってしまった。


当たり前だけど、、自分のことは自分で何とかするしかない。


くだらないことだけど、、

一緒に本屋で過ごす時間が好きだった。

交代で運転して当てもなく遠出するのも好きだった。

ボケ〜っとパチ屋で時間を潰すのも好きだった。

ウィンドウショッピングも好きだった。


1人でもできることだけど、、

1人じゃつまらない。友達とでもつまらない。

旦那と過ごしたそんな休日が懐かしすぎる。


「休みの日、何する?」

って聞かれても色々と削除していくと私の頭の中は何もなくなってしまう。

そして、今まで何でも心で思ったことをストレートで伝えていたけど、頑張って生きている旦那にストレート球は放てなくなってしまった。


本屋いきたいって言っても「1人で行きなよ」って言われるから言わない。

「買い物いきたい」って言いかけても「選べないからつまらない」って言われるから言わなくなった。


それでも、これから人生を楽しみたい旦那


休日は健康ランドや長めの散歩や映画を見て過ごす。ドッグランに行くこともある。つまらなくはないけど、、


見えなくなったことで楽しいって思えることにズレが生じてしまった。


コンタクトレンズを外すと0.01の視力の私。乱視もあるから矯正なしには生活出来ない。時たま裸眼で生活をしてみる。そして旦那の視力を体感してみてどんよりする。


何に疲れてるのか。

何で楽しくないのか。

何でこんなに面倒に思うのか理解できないけど

天真爛漫にワガママでいられないことに疲れてるんだろうな。


普通の人ならきっと何とも思わないだろうことも

今までの人生、好きなことをやって言いたいこと言って気分次第だったから今が辛いのかもしれない。


人生は平等だな

そして、恵まれてるのに幸せいっぱいにならない自分、、クズだなって思う。