旦那の見え方は、、
中心が見えない。普通に見ようとすると白くモザイクがかかり見えないらしい。
だけど周りは見える。見えると言っても0.01の視力。頑張ればもう少し見えるのかもしれないけど実際はわからない。
だけど、LINEでメッセージも送るし仕事も視覚障害を隠してこなしている。最近は嘆くこともなくなった。
去年、急激に見えなくなった時はメンタルをやられ
第二の人生って思ってたし周りの視覚障害の人からも2年で慣れるって言われた。
あれから1年。
多少の変化はあったけど私たちの生活は変わっていない。見えてた頃と同じ生活を送っている。このままの状況がいつまで続くかという不安感はあるけどその分無駄なことはしなくなって毎日を大切に生活できるようになったと思う。
白杖を持たない、ヘルプマークもつけない。
その分、周りの人を良く見て注意深く歩く。音も良く聞く。
視覚障害を公にしないで仕事をするけど、打ち明けて大丈夫な人とダメな人を見極める。そこにはお互いの利害関係が大事になってくる。
他人の感情、、優しさなどはまず信じない。
利害関係があればこそ持ちつ持たれつのバリアフリーな関係が築けると思う。
やってもらうばかりでは対等な信頼関係は築けない。
そのことに気がついてからは旦那は以前の旦那に戻った。障害者手帳は1級だけど自分のことを障害者だとは思っていない。
ただ、ちょっと目の悪い人。
他人の優しさを素直に受け取れない私達は人としてどうなの?とも思うけど笑
これが旦那の生き方なのだから仕方ない。
白杖もヘルプマークも持たずに1人でどこでも行く旦那。
モタモタする事もあるし心無い言葉に傷ついてしまう事もあったけど、白杖も持たないから仕方ないと諦めメンタルが強くなり文句を言われない工夫をしてどんどん強くなっていく。
旦那が最近良く言うのは、、
障害者が自分を障害者と思ったら障害者としての選択しかできなくなる。自分は目が人より悪いだけの人だからまだまだ選択肢はたくさんある。選択肢の少ない生き方はしたくない。できないことはあるけれどそんなことは誰でもあるし工夫すれば大抵のことはできる。
旦那がこんな感じだから私も旦那が視覚障害者だということをあまり気にしなくなってきた。
以前、同行援護の資格を取りに行こうかとも思ったけど、きっと私がそんなことをしたら旦那は障害者になりきってたかもしれないな。だからあまり良い顔をしなかったのかもしれない。
右往左往したけど1年たってようやく見えてきた。
他人には期待しない。他人の優しさは信用しない。
他人に甘えないし甘えさせない。
自分も得するけど他人も得させる。
見えても見えなくても変わらないってこと